The Song of Inanna イナンナの歌

小説

『彼女はどこへ行く』第三幕:諸行無常と、砂に舞う反故

オリジナル小説『彼女はどこへ行く』第三幕。敦煌の千仏洞で薬を乞い、返ってきたのは無常だった。そして関城の役人が、女王は半年以上前に刃の下で死んだと告げる。

3.1 壁の上の慈悲、胸のなかの亀裂

サーサーンの王城クテシフォンを離れて八か月目、あなたたちはついに敦煌を見る。

敦煌は、砂の海のなかに建てられた町だ。

果てしない黄砂を抜けると、まず木の影が現れ、次に水の光が、最後にようやく城壁と人の煙が現れる。世界の果てのようなこの荒野に、人が水を引き、土を突き固め、町を育ててしまった。まるで東方の世界まるごとを、一枚ずつ砂の海の果てに敷いたかのように。

はるか西から来たあなたたちにとって、それはほとんど奇蹟だ。

その瞬間、ふだんいちばん口数の多い者まで黙りこむ。

あなたは車のなかで、護符と文書と金印の入った革袋を、ずっと手で押さえている。革袋は握りしめて温かく、角は手の汗を吸って柔らかくなっている。あなたたちはここまで転々としてきた。サーサーンの壊れた版図を出て、二つの河を越え、ホラーサーンを越え、ソグディアナと諸オアシスを越え、険しい道を越え、黄砂のなかでもがくようにして……そしていま、本当にここまで来た。

敦煌が目の前にある。もっと東の唐が目の前にある。

町に入るころには空の半分が暗くなっている。みな疲れていて、まずは宿で休む。

けれどあなたは待てない。

この一刻二刻の通関が待てないのではない。出発のときから胸に押しつけられていたもの、道じゅう風と砂と飢えと渇きと恐怖と僥倖に無理やり押さえつけられてきた渇望が、いま、ひと息に噴き出してしまったのだ。

あなたは答えがほしい。

もっと正確に言えば、霊薬がほしい。呪文がほしい。女王とサーサーンを救う奇蹟がほしい。

鴻臚寺少卿の裴行恭。父があなたに探せと言った人で、求める霊薬も丹薬も、必ず皇室の奥から出てくるはずだ。それに加えて、敦煌では仏法が盛んだと聞いている。光明の神の徒として、あなたは知っている。祭司たちの手立ては尽き、聖火はもう啓示を与えず、あなたの神はもう祈りに応えない。けれど仏の神々には、まだ慈悲が残っているかもしれない。

鳴沙山の下の千仏洞の石窟には、苦を抜き難を救う威能を持つ無数の神仏が祀られている。彼らなら、絶望した祈りを聞いてくれるかもしれない。

ならば、入って見てみなければならない。

仏眼が人の世を見、仏心が衆生を憐れむというこの東の土が、あなたに、あなたの一族に、あなたの帝国に、いったいどんな救いをくれるのかを。

そこであなたは文牒の管理を随行の家僕に任せ、火羽だけを連れて出る。

町はずれの夕風はもう冷たく、顔に当たると湿り気の錯覚をくれる。千仏洞の崖は夕闇のなかで一本の高い暗い影でしかなく、石窟の口が岩壁にひとつずつ嵌まっていて、供養の灯がまだ燃えているものもある。遠くから見ると、山そのものが多くの薄暗い目を開いているようだ。

窟の外では誰かが松明を点け、炎が風に押されて低くなり、ぱちぱち鳴っている。僧と灯を供える者の影が行き来し、足取りは軽く、衣の裾が地を掃いて薄い埃を立てる。

窟の口は高くない。身をかがめて入り、松明を掲げると、まず照らし出されるのは煙で黒くなった天井だ。それから光が下へ移り、壁一面の色がふいに全部生き返る。

あなたはそこで立ち止まる。

薬方ではない。

道じゅう何度も思い描いてきた秘巻も、丹砂も、銅の鉢も、薬草も、呪文もない。命を救う方法を書いた壁など、どこにもない。四方の壁は人でいっぱいだ。生きた人ではない。描かれた人だ。列をなす仏陀、菩薩、羅漢、金剛、力士、飛天、夜叉、供養人。層に層を重ねた経変の物語。その岩壁に描かれているのは、飢饉も、病も、兵乱も、苦しみもない別の世界で、その夢のようなすべてが、この世の衆生によって、土と顔料でこの岩のなかに封じ込められている。

松明を掲げ、さらに数歩奥へ行く。

壁には文字もある。

供養人の名前が、行に行を重ねて、壁の隅に押し込まれ、石壁に積み上がり、松明の光が触れるあらゆる隙間に並んでいる。端正なものもあり、急いだものもあり、家名と身分だけのものもあり、亡き親のための祈りの句を添えたものもある。

何百、何千の人が、あなたが来るよりはるか前に、それぞれの生を、それぞれの死を、それぞれ手放せなかったひとかけらの執着を、この岩壁に預けてきた。

一瞬あなたは、道じゅう握りしめてきたその渇望が、この賑やかな願いの群れのなかで急に目立たなくなったように感じる。

それでもあなたは前へ進み、ひとつの仏像の前まで行って、ゆっくり膝をつく。

松明の光が仏の顔の上で軽く跳ねる。その異教の神の微笑は、熱くもなく、冷たくもない。ただ静かにそこにあるだけだ。あまりに多くの生を、あまりに多くの死を、振り返ろうとしないあまりに多くの人間を、とうに見てきたかのように。

火羽はあなたの後ろについてきて、窟に入ってからひと言も話していない。壁一面の経変の物語は読めないし、文字も全部は分からない。ただ、いつもより遠くに立っている。火の光がその横顔に当たり、顔の古い傷をなぞる。一瞬、彼女まで同じ憐れみの表情をまとったように見える。あなたがあまりに長く止まっているのを見て、彼女はとうとう低く呼びかける。

あなたは応えない。

その仏の前で三度、額を長く地につけ、上げたときには額に灰がついている。

心のなかで黙って乞う。ボーラーン女王の宿痾を治す神薬を。断たれかけたサーサーン帝国の息を、もう少し継がせる奇蹟を。あなたは東へ、唐へ、神仏へ、学士へ、医者へ向かって歩いてきて、帝国の最後の望みをすべてここに賭けた。

どれほど経ったのか、壁の石が少し砕けて落ち、あなたの体に当たる。あなたはそれを神仏の返答だと思い、宝を得たように駆け寄って、その壁を撫で、上の経文を細かく読み取ろうとする。

けれどよく見れば、壁に「救い」は書かれていない。

壁が説いているのは、捨身だ。 度亡だ。 来世だ。 放下だ。

石窟はあなたと論じ合わない。ただ、もうひとつの秩序を、経文というやり方であなたの前に敷いてみせるだけだ。

世のあらゆるものは生じ滅し、移り変わる。王朝は覆り、人は死に、肉体は朽ち、極まった栄華もまたたく間に塵になる。真の解脱とは、命をこの世に無理やり留めることでも、すでに朽ちた帝国を元どおりに繕うことでもなく、手放せない執着を断つことだ。

けれどあなたは、まさにその執着のために来たのだ。

あなたが求めたのは薬だ。与えられたのは無常だ。 あなたが求めたのは延命だ。与えられたのは度亡だ。

微笑をたたえたその仏面を見つめて、あなたは初めて自分に問う。あなたはいったい、何を手放せないのか。

ボーラーン女王か。 サーサーン帝国か。 それとも、これだけの犠牲がこんな惨めな結末を迎えるはずがないと信じつづけている、自分自身か。

その先はもう、考えるのが怖い。

松明がぱちりと鳴り、小さな火の粉をひとつ散らす。

はっと我に返って、あなたは仏像の前にあまりに長く立っていたことに気づく。

火羽は腕を組んで窟の壁に寄りかかり、静かにあなたを見ている。あなたの顔色の異変に気づいたのか、もう一度、今度はもっと軽く呼びかける。

「行くか」

彼女に起こされて、あなたは手を袖に戻し、そこにある金印に触れる。ボーラーン女王と王朝の象徴が刻まれた印。冷たく、硬く、角がはっきりしている。

それはまだある。あなたの使命もまだある。これは虚妄ではない。

石窟を出ると、外の風がまた正面から吹いてくる。砂山の夜特有の冷たさを連れて。

火羽は何か思い悩んでいるように見える。あなたに何か言いたそうで、結局こらえた。あなたたちは千仏洞の外の柳の下に立ち、香と油の灯を捧げ持って来る信徒たちを見ている。

その顔には涙の跡がまだ乾いていない。心の底の望みを、涙で灌いできたばかりのように。

あなたは火羽を呼び止め、心を決める。

「戻る。今夜のうちに関を越える」

3.2 関城と過所

あなたと火羽が宿へ戻ると、門をくぐる前に混乱のほうが先に行く手をふさいだ。

門は傾き、敷居のわきに酒甕が半分転がっている。酒と砂が混ざって、もう黒ずんだ泥の跡に乾いている。地面には引きずった跡があり、乱れた足跡が裏庭まで続いていて、切れた縄の端が何本か木の杭に残っている。切り口はきれいだ。荷を積んであった場所が三つ空いていて、それと一緒に、いちばん大事な獣の檻も見当たらない。

見まわすと、庭に残っているのはこんな場面を見たことのない者ばかりだ。女たちは廊下の下で縮こまり、子どもは怯えて泣くこともできず、老僕と人足が数人固まって、どの顔もいっそう灰色だ。

老僕が先にあなたを見つけ、よろめきながら駆け寄ってくる。声まで嗄れている。「ご主人、いけません、いけません——」

あなたは止まらず、奥へ入りながら訊く。「人は。荷は」

「みんな持っていかれました」。わきの馬夫が先に口を出す。汗だくだ。「あの護衛どもが夜中にこっそり出て酒を飲んで、坊門の外で人と喧嘩になって、夜回りの城兵と出くわしたんです。まず人が捕まって、そのあと連中をたどってこの宿まで来て、来歴を調べる、荷単を調べると言って。頭が止めても止まりませんでした。大事な獣の檻がいくつかと、荷車が三台、まとめて引いていかれました」

老僕が続ける。「あのお役人がたは弁解も聞かず、文牒も見ず、夜に騒ぎを起こしたのだから例によってまず押さえると言うばかりで。獣の檻まで持っていくと言って、危険な荷だから宿に置いてはおけない、と」

ここまで聞いて、あなたの顔色はもう沈んでいる。

愚か者。あの厄介を起こした愚か者ども——心のなかで罵りながら、しかしいまはもう、その愚か者を助けるかどうかの問題ではない。こういう場所でいちばん恐ろしいのは、辺境の将兵の手にある権力だということを、あなたはよく知っている。彼らの裁量は極めて大きい。外来の者が酔う、刃物を持つ、騒ぎを起こす。どれも材料にできる。

どこの国でも同じだ。辺関は俸禄が薄く、権力が大きい。将兵の実入りの多くは隊商から出る。あなたたちの異国の獣と荷箱は、まっさきに狙われる。夜が明けてから取りに行ったところで、とっくに分けられているだろう。

庭に立ったまま、さっきまで胸に押しかかっていた滞りと空白が、この数言でいっぺんに洗い流される。

隊商頭がいない。力のある男たちも連れていかれた。残っているのは負傷者と老僕と女たちと、役に立たない馬夫だけだ。

松明の光が人々の顔を照らす。慌てと恐れでいっぱいなのに、誰も何をすればいいか分からない。

あなたの内側は、かえってすっと静まる。もう女王も、神薬も、呪文も、帝国も考えている暇はない。いま大事なのはひとつだけだ。あの荷を関城へ入れさせてはならない。

「門を閉めなさい」。あなたは直接命じる。「負傷者は動かないこと。女と子どもは部屋へ。残ったものを数えて、これ以上ひとつも失わないように」

老僕が急いで応じる。

そして馬夫を見る。「いちばん脚の速い馬以外、家畜は全部きつく繋いで。水袋と火鉢は絶やさないで。夜が明けてもわたしたちが戻らなければ、あなたはここを守りなさい。追ってきてはいけないし、誰も外へ出してはいけない」

馬夫はきょとんとして、不思議そうにあなたを見る。

けれどあなたはもう外へ向かっている。

火羽はひと言も訊かない。まっすぐ、いちばん脚の速い馬を引きに行く。

手綱をひと振りして、自分が先に飛び乗り、それからあなたに手を伸ばす。

あなたは鐙を踏んで身を上げ、座ったか座らないかのうちに、火羽が鞭をひと振りして、馬を宿の門から駆け出させる。

夜の辺境の町は空っぽで、人影はほとんどない。蹄の音が短く澄んで、ひとつ、またひとつと夜風のなかで砕ける。風がまっすぐ吹きつけて顔を痺れさせ、衣の裾も羅も残らず後ろへ流れて、ばたばたと鳴る。

道中、二人とも何も話さない。

何を言っても余計だ。あなたが数えているのはひとつだけ。兵が酔漢と荷を押していくなら、速くは進めない。関に入る前なら、人と荷が正式に簿冊へ記される前なら、止められる見込みがある。

馬は止まらず、空の果てが灰白に明けるまで駆けつづける。

ようやく、押送の一行が視野に入る。

関を守る兵が数人、家畜を引き、まだ酒の抜けきらない護衛たちを押し、その後ろに輜車と木の檻が続き、隊商頭が灰色の顔でいちばん端を歩いている。背が一段ぶん落ちている。

もう少し先は、関城だ。

火羽が手綱を引き、その一行の斜め前へまっすぐ突っ込む。

あなたはその前進の勢いを借りて身を起こし、朝の風に向かって声を上げる。

「お待ちを——!」

3.3 あなたが最後に握れる言葉

あなたのその声で、火羽はもう馬を止めている。馬が前脚で地を掻き、冷たい砂を巻き上げる。

一行はもう関城の外の木の柵の前にいる。

押送の兵が振り返るとき、数人が本能的に矛の柄を押さえ、別のひとりが馬を下りろと怒鳴る。

あなたは動かない。

まず隊形を見て、押送がまだ正式に柵を越えていないこと、荷車と木の檻がまだ外にあること、文書を検分する机が柵の内側にあって、朱の印泥も木の札もまだそこにあることを確かめる。間に合った、と分かる。

ほんの少しの差だ。人と荷がいったん簿冊に記されたら、本当に厄介になる。

興を削がれた兵たちの顔は鉄のようだ。ひとりが怒鳴る。

「夜に騒ぎを起こした者はすでに捕らえた。荷も検分する。関係ない者は退け」

そこであなたは馬を下りる。

縛られた者たちを見もしないし、隊商頭に話しかけもしない。まっすぐ兵の前まで歩く。

口を開く。漢語で。

「諸君は夜の捕縛に職責があり、人を拘するに拠もある。しかしこの隊が関わるのは、酔漢数名にとどまらぬ。関外の貢載と、遠国の国書もある。軽重を分かたず一括して押さえるは、辺関が人を慎重に遇する法にあらぬかと存ずる」

兵はまず虚を突かれる。

あなたの漢語は流暢ではなく、訛りもある。それでいて語も文も異常に整っていて、整いすぎて文書めいている。

彼はあなたを上から下まで眺める。西から来た若い女がこんな喋り方をするとは思っていなかったのだろう。彼らは振り返って速く言葉を交わし、すぐにこちらへ向き直る。

「国書だか何だか知らんが、まず検分する。辺関は夜禁がある。喧嘩、酩酊、異獣の携帯。どれも本来押さえるべきものだ」

あなたはすぐソグド語に切り替え、後ろの文吏たちに向かって、決裁できる者を呼んでほしいと言う。

火羽はあなたの後ろに立ち、声を出さない。ただ兵の立ち位置と檻の錠を見ている。すでに何人かが濡れ毛氈をめくりはじめていて、檻のなかの仔獣が驚いて、喉の奥で低く唸る。

あなたは一歩前へ出る。

「喧嘩せし者は、拘してよい」。なおも漢語だ。「酔いし者は、問うてよい。されどこの荷車と獣の檻は、彼らの私物にあらず。明らかな検分なく、みだりに封識を剝がし、蕃国入貢の物を誤り損なわば、誰が署名なさるか」

その言葉が落ちると、机の後ろの筆が一瞬止まる。

はたして、顔を上げる者が出た。

最初に出てきたのは長官ではなく、少し年かさの文吏だ。目を細めて訊く。「わが朝の格式を知っているのか」

「すべては存じませぬ」とあなたは言う。「足るほどには」

文吏の眉が上がり、笑ったような笑わないような顔で、また訊く。「何国と名乗る。誰が保をなす」

「ペルシアの万王の王の臣にございます」とあなたは言う。「国書を奉じて東来し、大唐の聖人陛下に拝謁いたす所存。貴朝の蕃使を遇する礼に従うならば、まず印を検め、書を検め、使名を検め、しかるのち従者の過失を問うべきかと。順が逆にございます」

この一句で、ようやく人が来た。

小吏でもなく、夜回りの校尉でもない。ひとりの男が後方から馬を寄せてくる。濃い色の大氅をまとい、甲衣はまだ全部は脱いでおらず、腰に刀を佩き、それでいて前の者たちよりはるかに冷静な顔つきだ。

他の者は彼が来ると自然に半歩よける。筆を執っていた文吏まで筆を置き、低く「長史」と呼ぶ。

長史が馬を下りる。視線はまずあなたの手の革袋に落ち、それからあなたの顔に落ちる。

「漢語ができるのか」

「いささか」とあなたは答え、手を上げて礼をする。「沙州都督府長史にお目にかかります。下使、失礼のなきように」

その目が一瞬揺れる。あなたの視界の端はそれを逃さない。

口を開く前の不安は消えた。賭けに勝ったと分かる。まわりがこれだけ恭しくなる相手は、並の官職ではない。

「いつか東の玉門関へ行くことがあれば、必ず憶えておきなさい。あそこの都督府には都督、長史、司馬、録事参軍事といった属官が置かれる。関司が検分と記録を担い、辺関の軍士と文吏の分担もはっきりしている……とはいえ、わたしたちが会うのは、たいてい都督府の長史です」

学堂の外での母の教えが、書物を越えて人の見分け方を教えたあの記憶が、また押し寄せてくる。

だからあなたが呼んだのは「大人」でも、曖昧な「お役人」でもなく、「沙州都督府長史」だった。

その一瞬、わきの兵までいくらか静かになる。

いま、革袋を開いてよい。

まず金印を取り出す。印面は大きくない。ボーラーン女王の系統の紋がある。その下は巻いた国書で、封泥は古いがまだ割れていない。あなたはひとつずつ机に平らに置く。順序をはっきりさせ、綬まで真っすぐに伸ばす。

「夜に騒ぎを起こしたのは護衛にございます」とあなたは言う。「されど彼らは正使にあらず、この隊の文書の資格を代表いたしませぬ。貴関が律により騒擾の者を拘せんとするならば、下使に申すことはございませぬ。されど檻の異獣、載せたる貨物、奉呈の国書は、いずれも冊に名がございます。酔漢数名のゆえに一括して扣没なされば、後日責を問わるるとき、案に記されるのは彼らの名ではございませぬ。本日検分なされた方の名にございます」

長史は何も言わず、ただ金印を取り上げて眺める。

あなたは続ける。ひと言ずつ、できるだけはっきりと。

「一に、貨単はここにございます。檻の数、車の数、家畜の数、いずれも照合できます。二に、使名はここに。主従の別があり、夜禁を犯した者は正使に含まれませぬ。三に、異獣は危険な荷にございますれば、なおさら扱いを知る者が世話をすべきで、巡卒がみだりに檻を開けるべきではございませぬ。四に、貴関が過所を検め、来歴を問わんとなされば、下使はただちに官に従い案へ参ります。されど荷を扣し、封を毀つは、礼に合いませぬ」

そこでようやく長史が顔を上げてあなたを見る。

その目にもう侮りはない。かわりに、少しの吟味がある。

「おまえが正使か」

「副使にございます」とあなたは言う。「命を奉じ、書を護りて東来いたしました」

「誰の命だ」

あなたはひと呼吸置く。

とても短い間だ。他人には気づかれないほど短い。けれどあなた自身は分かっている。最後の賭けをしているのだと。この者たちには西の知らせがまだ速く届いていないほうに、この金印とこの国書が、まだこの一関を支えきれるほうに賭けている。

「ボーラーン女王」とあなたは言う。

風が関道を抜けていき、机の紙の端を少しめくる。

長史は下を向き、金印を見て、それから国書のペルシア文字を見る。全部は読めないらしい。それでも印の紋は分かるし、これが道じゅう厳しく守られてきた本物だとも分かる。

彼が横へ手を出すと、小吏がすぐ朱砂を差し出す。まわりは静まって、彼が印を落とすのを待つばかりだ。

あなたは自分の鼓動を聞いている。

あと一歩で関を越える。唐だ。黄砂のなかからここまで守ってきたものは、この一印だけが足りない。

けれど長史は、すぐには押さない。

彼は印綬をもう一度見て、何か思い出したかのように、なにげなく言う。

「貴使団は、砂のなかをずいぶん長く回ってきたな」

あなたの指先がわずかに締まる。

彼はなおその印を見たまま、いっそ無関心なほど平らな口調で言う。「この印綬は本物だ。ボーラーン女王のもので間違いない。ただ——」

そこでひと呼吸置いて、後半を言いきる。

「半月前、沙州都督府に西からの急報が入った。おまえの言うその女王は、半年以上前に刃の下で死んでいる。いまペルシアを誰が取り仕切っているかは、わたしは知らぬ」。そこで目を上げ、あなたを見る。「だからこの国書は、関へ入れてよい。それより上へ送れるか、天子に会えるかは、おまえたち自身の運次第だ」

その瞬間、関道の風が全部止まったように感じられる。

あなたはそこに立ち、顔を上げない。頭がくらみ、それでも倒れない。まだ倒れるわけにいかないからだ。少なくともここでは。

長史はあなたを見て、しばらく黙り、最後には朱の印を押し下ろした。

「騒ぎを起こした者は例により罰する」と彼は言う。「荷と檻は通せ。関へ入ったのちは、二度と騒ぎを起こすな」

わきの兵が応じ、車の縄を解きにいく。さっきまでいちばん威勢のよかった者たちは、いま全員うつむいている。

長史は裁可した文書をあなたに押し返す。口調はやはり平らで、こういうことを見慣れた者のようだ。

「せっかく来たのだ、中へ進むがよい。どうしても割り切れぬのなら、鳴沙山の下の千仏洞でもう一度願ってくるがよい。乱世では、人は来世の安らぎを願いたがる。今生で得られずとも、来世を願うのも、ひとつの支えだ」

そう言うと、彼は背を向けて去り、二度とあなたを見ない。

ただ、新しく落ちた朱の印だけが、まだ湿って光っている。

3.4 風のなかの反故

長史が印を落とすと、関道の人々は一斉に息を吹き返した。

木の檻が元の場所へ戻され、外れかけた輜車も直される。隊商頭はわきに立ち、顔じゅうが灰色だ。唇が何度か動いて、礼を言いたいようでも、言い訳をしたいようでもあり、結局ひと言も出てこない。ただ頭を下げ、身をかがめて散らばった貨単を一枚ずつ拾う。

厄介を起こした護衛たちも戻された。手首に縄の痕が残り、酒はもうほとんど醒めていて、誰もあなたを見られない。

使団の誰かが低く、さっきの役人の言ったことは本当かと訊く。誰かが受けて、こういうことは珍しくもない、アーザルミードゥフトだってあのとき暗殺者の刃で死んだのだ、と言う。さらに誰かが声を落とし、曖昧に、サーサーンは今度こそ本当に終わりだろう、と言う。

あなたがそのわきを通ると、その声がぴたりと止む。

人と荷を取り戻したのがあなただと、彼らは知っている。

そして「ボーラーン女王は死んだ」というひと言が、あなたの目の前で落とされたことも知っている。

あなたは誰も見ないし、足取りも乱さない。文書と金印はまだ袖にあり、皆の視線もまだあなたの上にある。背中は絶対に落とせない。

車列のわき、獣の檻、駱駝、地に伏して働く馬夫のあいだを通り抜けるまで、顔にはひとつの亀裂もない。関道で何も起きなかったかのように。

城壁の下まで歩き、光の当たらない壁の角まで行き、ようやくあたりに人がいなくなって、そこで立ち止まる。

敦煌の城壁は高い。煉瓦の色が朝の光で白っぽく見える。壁の根にはまだ夜の冷気が溜まっていて、城門の洞から風が抜けてきて、目のふちが乾く。あなたは壁に背を預け、しばらく動かない。

石窟の仏像が、ふいにまた目の前に戻ってくる。

半ば閉じた目。びっしりと壁一面の供養人の名。浄土、度亡、捨身、来世。その前には、サマルカンドの回廊の下でのあのソグドの主母の目つき。冷静で、醒めていて、意味ありげで、あのとき読み取れなかった憐れみが少し混じっていた。もっと前には、出発の日、父が印綬をあなたの手に押し込んだときの、ごく短い間。母はあなたを見ず、ただ綬を直してくれた。指が震えていて、言うべきひと言さえ速すぎて、まるでひと呼吸遅れたら、あなたに何かを聞き取られるのを恐れているようだった。

その瞬間、ひとつに合わさらなかった多くの破片が、ぴたりと噛み合う。

いま死んだのではない。

あなたが道にいるあいだに死んだのでもない。

たぶん、あなたがクテシフォンを離れたときには、ボーラーン女王はもう死んでいた。

たぶん、あの国書があなたの手に渡されたときには、もう死者の名を署した文書だった。

父はいくらか知っていた。箱を封じた者もいくらか知っていた。サマルカンドのあの主母も、印綬に触れたときにいくらか見抜いた。ただあなただけが、あなただけが、あの小さな体面を大事に抱えて、道じゅう守り、道じゅう祈り、道じゅう命を賭けて、もともと存在しない「まだ間に合う」を買おうとしていた。

石窟で膝をついたとき、あなたはまだ薬を乞うていた。

女王を救える薬を。帝国を引き戻せる道を。

道じゅう守ってきたのは、とうに息の絶えたものだったのだ。

その思いがゆっくりあなたを呑み、頭のなかへ伸びてくる。胃が締めつけられるように痛む。長い道で呑んだ砂と、冷たい水と、こらえた飢えと、止められなかったひと息が、いまいっぺんに崩れたかのように。

城壁の外の日差しが少しずつ高くなり、地面を照らす。眩しいほど明るく、そして刺すように冷たい。

道ばたに子どもが数人、どの路地から出てきたのか、あなたのまわりを回っている。あなたには全部は分からない言葉を口にしながら、手はあなたの袖のほうを指していて、目が輝いている。菓子でもねだるように。

あなたは彼女たちを見下ろす。

そして、自分でも考えがまとまらないうちに、懐から革袋を取り出し、なかの護符も文書も金印もまとめて、いちばん近くにいた子どもの手に押しつけた。

その子はまず固まり、それから革袋を抱えこむ。わけの分からない硬い木を抱くように。ほかの子どもたちも寄ってきて、綬に触り、革の角を引っぱり、けらけら笑い合う。笑いながら走っていく。その笑い声は軽く、雀が数羽、壁の根を飛んでいったようだ。

あなたは追わない。

ただ、ゆっくり壁の角に腰を下ろす。

城門の洞から風が抜けてきて、砂まみれのあなたの裾をめくる。あなたはそこに座り、背後には唐の頑丈な辺壁があり、前には行き交う人と家畜がいる。あなたが誰かなど、誰も知らない。壁の根に座っている異国の女が、ついさっきまで王朝を代表しうる金印を握っていたかどうかなど、誰も気にしない。そういう日の光のなかでは、影さえ薄く見える。

どれだけ座っていたのか分からない。

やがて、誰かが隣に腰を下ろし、小さな音を立てる。

火羽だ。

彼女はなぜここに座っているのかとも訊かないし、「わたしは知っていた」とも言わない。ただ両脚を少し伸ばして壁にもたれる。荒れた道の脇で休むのと同じくらい自然に。しばらくして、ようやく口を開く。声は大きくない。とうに終わった夢の話でもするようだ。

「わたしは小さいころ、沙漠のオアシスの城に住んでた」

あなたは顔を向けない。

「大きな一族だった」と彼女は言う。「人が多くて、天幕も多くて。誰が誰の子か、そのうち誰にも分からなくなった。わたしの母が誰かも知らない。とにかく目を開けたら、まわりに人がたくさんいた。餅を焼く者、唄をうたう者、獣の檻を見る者、火を吹く者、綱を渡る者。

「姉さんがいた。ずっと年上の。いつもわたしを連れて歩いてた」

彼女はペルシア語で話している。あなたに分かるようにするためか、とてもゆっくりだ。

「貧しかったけど、暮らしは悪くなかった。姉さんは百戯ができた。小さな手妻も、綱渡りも、鳥をあやすのも、半分野生みたいな獣をなだめるのも。稼いだときは甘い餅を買ってくれた。なかったときも、やっぱり連れ出してくれた。山の鳥を見に、砂のトカゲを見に、夜に水を飲みに出てくる獣を見に。

「あのころは、この先もずっとこんなふうに続くんだと思ってた。少し貧しくて、少し疲れるだけ。火鉢は点けても消えて、明日もまた陽が昇るのと同じで」

そこでしばらく止まる。

「そのあと、わたしらはクテシフォンへ行った」

その名が出ると、壁の根の風がひと層冷たくなったようだ。

あなたはとうとうゆっくり顔を向け、彼女がうつむいているのを見る。手には細い草の茎があって、指先で少しずつ揉み砕かれている。

「はじめは騒ぎだった。そのあと戦になった。そのあとは、奪うのと殺すのだけ」。彼女は前を見ていて、その目はあなたの上にはない。「あの夜、家の者がひどく叫んでた。姉さんはわたしを手妻に使う大きな甕に押し込んで、何を聞いても出てくるなと言った。もうひとり女の人がいて——わたしの母かもしれないし、違うかもしれない——その人も、声を出すなと言った。蓋を押さえられたとき、わたしはまだ、二人はすぐ戻ってきてわたしを抱き出してくれるんだと思ってた」

彼女の指が少し動く。見えない甕のふちを撫でるように。

「言われたとおりにした。ずっと出なかった」

風が二人のあいだを抜ける。少し黙ってから、彼女はまた続ける。

「甕のひび割れから、二人が見えた。先にひとり倒れて、次にもうひとり。姉さんは最後まで、兵をひとり引き止めようとしてた。あの人はそういう人だった。死ぬ瞬間まで、自分はまだ誰かを助けられると思ってた」

聞きながら喉が締まり、それでもあなたは声を出さない。

彼女は言葉を止める。喉に何か引っかかったように。

風は強い。多くのものを吹き飛ばしてしまう。過去も、涙も、悔いも、諦めきれなさも。あなたはもう声を出さない。ここまで聞けば、その先が何かはもう分かるからだ。

「そのあとは、わたしひとりだった」と火羽は言う。「甕から這い出したら、何もなかった。人もいない、天幕もない、獣もいない。ひとりで街をうろついて、そのあと捕まって売られた。奴隷にもなったし、盗みもしたし、借りのかたにもされた。そのあとは、人手の足りないやつがわたしを隊に入れる。今日あんたはわたしを獣使いと呼ぶ。明日は誰かが賤役と呼ぶ、担保と呼ぶ。明後日はまた別の名になる。どれも似たようなものだ」

「そのうち賢くなった。姉さんみたいにはなるな、って」。彼女は手のなかの草くずを弾き飛ばす。「生き延びたいなら、誰も信じるな、誰にも頼るな、誰にも手を差し出すな」

そしてとうとう顔を向け、あなたを見る。その琥珀色の目に怒りはなく、涙もない。あるのは、長いこと積もりつづけたような疲れだけだ。

「だから、最初からあんたが嫌だった」

あなたの喉がわずかに動く。それでも言い返さない。

「あんたは大きなお嬢さんだ。きれいな言葉を喋って、人を仕切って、人を助けて、水を渡すときまで、高いところから手を曲げてるみたいだった。思い上がってて、そのうち必ず痛い目に遭う」と彼女は言う。「あんたみたいなのは、そう多くは見てない。けど見たらうんざりする……うんざりするほどだ。それに……あんたは、似すぎてる」

彼女はあなたを見て、声を落とす。迷っているようだ。

「似てる……誰に」

あなたはとうとう訊いてしまう。

「わたしの姉さんに」

あなたは息を呑む。

「傷つくと分かっていて、それでも行く。助けられないと分かっていて、それでも助けようとする。自分さえ手を放さなければ、天が落ちてきても支えられると思ってる。馬鹿もいいところだ。小さい子どもと同じだ」

怒っているように聞こえる。声が荒くなり、あの草の茎も折れる。

「どうしてわたしと一緒に隠れなかった。どうして飛び出していった」。罵るように言って、そこで止まる。ひと言が喉に引っかかったようで、しばらくしてやっと押し出す。「姉さんはいちばん手妻がうまかった。なのに百戯の者にはこういう言葉がある。同じ手妻が、どうして二度も効くものか。どうして分からなかったんだ。ほかの人間を放っておいて、わたしと隠れてさえいれば、たぶん、たぶん生きていられたのに」

その怒りを吐き出したあと、火羽は長いあいだ黙る。うつむいて、眉をきつく寄せ、目の奥の光はとても暗い。灰に埋めた火のように、燃えているようには見えないのに、それでも熱い。顎が強く張っているのが見える。何かを噛み殺しているように。ずいぶん経ってから、ようやくまた声を出す。囁きに近いほど低く。

「でも、この世でわたしに餅と塩をくれて、自分をわたしの主人だと思わなかったのは、ひとりは姉さんだ」

ひと呼吸置く。

「もうひとりは、あんただ」

あなたはそこに座って、ひと言も出せない。

火羽のほうは、ようやく胸の石を退けられたかのように、いくらか軽くなったように見える。「空に神仏はいないし、ペルシアにも女王はもういない。でもちゃんと見ろ——あんたはまだ息をしてるし、わたしもまだ生きてる。この世に戻る道なんてない。前へ行くだけだ」

そう言いながら、彼女は懐から何かを取り出し、あなたの膝に置いた。

あの革袋だ。

綬には子どもの手の飴の跡が少しついていて、なかの護符も金印も文書も、ひとつも欠けずに無事だ。

あなたは呆然として顔を上げる。「どうやって——」

火羽の口の端が、ようやく上がる。

「手妻を見せてやった」と彼女は言う。「あの小さいのは金銀も分からないし、国書も分からない。けど手妻は好きだ」

そう言って、あなたの目の前で手をひと振りすると、どこからか小さな飴がひとつ現れた。黄色く澄んだ飴が、手のひらに載っている。

彼女はその飴をあなたに放る。

「持っとけ」と彼女は言う。「捨てていい時じゃない」

← 小説