『パンとバラ』第三部:はじめての社交界
オリジナル小説『パンとバラ』第三部。社交界デビューに呼び戻されたイザベルは、ワインレッドのドレスを着せたケイトを連れていく。紳士たちが1842年の王立委員会の報告を笑いの種にしたとき、ケイトは手袋を脱いだ。
3.1 社交界デビュー——父からの招き
気づけば季節は夏の終わりへ向かっていた。慈善学校の窓ぎわに長く立っていると、子どもたちの変化が音で分かる。木の椅子は動かしても笑いが起きなくなり、鉛筆が紙を掻く音がひと続きになり、ときどき手が挙がって、その下の声も抑えることを覚えている。
マーサは背をまっすぐにして座り、算術を解き終えると帳面をあなたのほうへ押してくる。目を輝かせて、頷いてもらうのを待っている。
補習の場所はケイトの家の小さな部屋に移った。部屋は相変わらず狭い。上の寝床では妹がふたり眠っていて、細い呼吸をしている。マーサはそのわきで身を丸めている。
石油ランプの火はごく低く落としてあって、ホヤの内側には黒い煤の輪がついている。光は机の上の、黄ばんだ数枚の紙に届くだけだ。あなたとケイトはとても近くにいる。肩がほとんど触れている。読むときは小声で、ときどきくすくす笑って、屋根の鴉を驚かせないかと気にする。
ケイトが知っている語は増えていく。字を書くときも、炭車を押すような力任せではなくなった。ペン先が止まることを覚え、文に骨組みができはじめている。
それでも彼女はあなたの帽子を笑う。「あれは自分で的をぶら下げてるようなもんだ」。相変わらず「小さなカナリア」と呼ぶ。冗談のような口ぶりで、目は前よりすこしやわらかい。ピアノの話をすれば鼻で笑う。「白黒の鍵が並んだくらいで、パンが何枚買える」。それでもシェイクスピアの頁を開けば顔を近づけてきて、ある語を指して読み方を訊き、訊き終えるともう一度自分で読む。
日々が進むにつれて、この町でのあなたの「位置」も静かに動いている。親たちは最初、あなたを施しに来た客のように扱っていた。いまは戸口で頷くようになり、パンを半分、手のひらの熱ごと押しつけてくる人さえいる。
そして十月、父の手紙が届いた。
封筒の紙は厚く、封蠟は欠けていない。開けると薄い香水の匂いがした。母のにおいだ。石炭の煙とわざわざ隔ててあるように清潔な。
父は炭鉱でのあなたの仕事には触れていない。あなたが寄付した金にも触れていない。書いてあるのは一件だけだ。
淑女のデビューを忘れるな。
これはおまえが受け取るべき「最初の正式な登場」だ、と父は書く。町ではロンドンから来る公爵のために舞踏会が開かれる。地方の有力者たちは、ガス灯と銀器の音のなかで秩序と繁栄を示すつもりでいる。おまえは手袋をして、ドレスを着て、ひとりの新人らしく招かれる必要がある。
この儀式が何のためのものかは、よく分かっている。娘を灯りの下へ押し出すのだ。商品を台に並べるように。家の体面、持参金の重さ、話し方のなめらかさ。最後はすべて同じ一点を指す。将来の夫に選ばれるのを待つこと。
父が当時あなたをロンドンへ学びにやったのも、そもそも教壇に立たせるためではなかった。金箔を一枚かぶせて、落ちぶれた貴族がこの金を受け取る気になるようにするためだ。
手紙の末尾にはもうひとつ指示があった。「親しい友人」をひとり連れてくること。父はリボンの色を決めるような軽さで書いている。連れがいてこそ社交界に受け入れられた娘に見えるし、炭鉱町で自分を「だめにして」いないようにも見える、と。
その夜、あなたはまたケイトの家へ行った。部屋は蒸し暑く、炭火が鍋の底を乾かしている。父の手紙を机に置くと、灯りが紙の文字を光らせる。あなたを嘲っているように見える。
ケイトはひと目見て、手を出さずに言った。「飾りつけに連れ戻すつもりか」
あなたは否定しない。
ケイトはあなたの手もとからペンを取って、軸を回す。蓋が指のあいだで軽く鳴る。「行くなら行け。ただし、自分を仔羊だと思うな」
「仔羊」という言葉に、舞踏会の広間の光が目の前をよぎる。ガス灯の白、燭台の銀の輝き、硝子が割れるように澄んだ乾杯の音。
ひとつの考えが浮かぶ。
招待状の名のなかに、ある有名な名前がある。左派の人物だ。どうやら来るのは商人だけではない。政治家もいる。この国には稀な良心もいる。あなたはケイトを見る。彼女の手が紙の上で止まっている。節が太く、手のひらに胼胝があり、裂け目にインクが入って細い黒い線になっている。彼女は目を上げて見返す。少し警戒している。あなたが馬鹿なことを言おうとしているのを知っているように。
声を落とす。「一緒に来て」
ケイトの口の端が引きつる。「どこへ。あんたらの、硝子をぶら下げた部屋か」
「市庁舎か、炭鉱主の屋敷か。とにかく舞踏会へ」。あなたは灯りの下のその一行を見ている。閉じかけている罠を見るように。
そしてその名を口にする。「キア・ハーディ」。名高い労働党の創設者で、炭鉱夫の出身で、そこから高い位置まで登り、多くを変えた人だ。ケイトが心のなかで彼を象徴にしているのを、あなたは知っている。そしてそれを利用している。舞踏会は「繁栄」を見せる場所であり、同時に、いちばん恥をかくことを恐れる場所でもある。誰かが絨毯に石炭の粉を落としさえすれば、部屋じゅうの秩序が裂け目を見せる。
だから顔を上げて、あらたまって告げる。
「坑へ下りたいということを、あの人たちに話して」
ケイトはすぐには笑わなかった。ペン先を紙に点を打つように当て、小さな黒い点を残す。インクがゆっくり広がる。
石油ランプの火が揺れた。あなたは紙をケイトのほうへ押す。黄ばんで、角が毛羽立った紙。それでも新しい決意を受け止めるには足りる。
しばらくして、彼女は答えた。「小さなカナリア、あんたはほんとに行き止まりへ飛び込むのがうまいな」
それは承諾だと、あなたには分かる。
3.2 ワインレッドのドレスと、鏡のなかの他人
あなたは父の要求を承諾し、そしてケイトを選炭場の唸りから一晩だけ借り出した。
仕立て屋は町の中心の、もう少し「きれいな」通りにある。戸口に小さな鈴がかかっていて、押すとちりんと鳴る。炭鉱町とのあいだに半歩の距離を置くように。
店の床は板張りで、踏んでも滑らない。鼻先に届くのは蒸気アイロンの湿った熱、樟脳のしぶい香り、糊のきいた新しい布の甘さ。
ケイトは衝立の前に、まだ仕事着のまま立っている。ズボン、古い上着、毛羽立った袖口。帽子のつばを下げて、いつでも背を向けて帰る用意をしているようだ。あなたは父からの招待状を手提げの底に隠している。指が封筒の硬いふちに触れるたび、胸が締まる。
仕立て屋があのワインレッドのドレスを出したとき、ケイトがまず鼻を鳴らした。
ガス灯の下で布が深い光を帯びている。杯の内側をめぐる葡萄酒の薄い膜のようだ。露わなドレスではない。襟もとはきちんと収まり、腰は絞られ、裾は下へ広がって、歩くと幾重にも起伏する。袖は腕に沿い、袖口は締まり、布のふちには暗い色の縁飾りがついている。控えめで、それでいてよく作られている。
ケイトはそのドレスを、見知らぬ網を見るように見つめる。
「これを着ろって?」と言う。「ベルトに巻き込まれる」
「ベルトのそばには行かない」とあなたは返す。「シャンデリアのある部屋へ行くの。そっちのほうが危ない」
彼女は不服そうに鼻を鳴らし、最後はあなたの厳しい視線に押されて衝立の奥へ入った。布の擦れる音がしばらく続く。そのあいだに苛立った息が混ざる。仕立て屋が裏地と、締める紐と、ピンを渡す。ピンが真鍮の皿で軽やかに鳴る。
ケイトが仕事着を脱いだその瞬間、あなたは自分がずっと彼女を単純に考えすぎていたことに気づく。
衝立が開く。彼女は、石炭の粉のなかから歩き出てきた、もっと明るい炎のように立っている。ワインレッドが肌をいっそう白く見せる。首すじの線が清潔で、鎖骨の下には健康な起伏がある。弱った人の窪みではない。肩と背にはまだ労働が育てた力があり、腰は布に切れよく収められて、全体として引き締まって生きている。ひと息で坂を上がり、さらに石炭をひと桶レールへ押し上げられそうな人だ。
顔はいっそう際立つ。その美しさは媚びたものではないし、迎合するものでもない。眉骨は相変わらず鋭く、目は相変わらず明るい。ただ視線をどこへ置けばいいのか分からない、という落ち着かなさが少し加わっている。手を上げて裾を引こうとし、布に皺を作るのを恐れたように、指が宙で止まり、最後は自分の手のひらへ落ちた。そこに裂け目と胼胝があることを急に思い出したように。
「見るな」。ぼそりと言う。
あなたは目をそらさない。ただ、やわらかく頼む。「回ってみて。腰の後ろが合っているか見たいの」
回ると、裾が床を掃いてやわらかな音を立てる。炭車の車輪や鎖の音とはまるで違う。ひと息のように軽い。仕立て屋が進み出て後ろの紐を締め、布が平らに引かれる。その一瞬、ケイトの肩甲骨の動きがはっきり見えた。彼女は広い場所で力を使うことに慣れていて、こんなに近くで「扱われる」ことに慣れていない。
あなたは彼女の髪を整える。いつもは金髪を帽子へ押し込んでいる。今日はほどいて梳かす。櫛の歯が毛先を通り、細かな音が指のあいだから広がる。
かつらをかぶせると、ピンが留まる小さな音がして、彼女が思わず身を縮める。
「動かないで」とあなたは言う。
「動いてない」。口は強がる。
それでも耳の先が赤い。その赤は恥じらいの飾りではない。むしろ、鏡の前に無理やり立たされて初めて、自分も見られる側のものになりうるのだと知った人の赤だ。
鏡のなかの彼女は他人だ。ケイトは自分の姿を見つめ、唇を動かした。「これは誰だ」
「あなた」とあなたは言う。「仕事着を着ていないだけ」
手袋を出す。黒い羊革は薄く、清潔な滑らかさがあって、指先をしばらく粗さから引き抜いてくれるようだ。ケイトは最初、手を出そうとしない。手のひらが開かれると、胼胝が、裂け目が、細かい皺に染み込んだインクの黒い線が見える。炭車を押し、ズリを選り分けてきたことの証拠だ。彼女の仕事は、実際に存在する坑口の女たちの生計そのものだ。
あなたは手袋を少しずつはめてやる。裂け目が隠れ、胼胝が覆われる。ケイトは自分の手を見る。盗まれた武器を見るように。
「今夜はダンスカードを持つの」。小さな札を手のひらに置く。「紳士がこれであなたとの一曲を予約する。上流の場では決まりごとで、そして物差しでもある」
ケイトは札をつまむ。羊革ごしでは紙の繊維に触れられない。顔を上げてあなたを見る目に、不安がひとつある。「誰も書かなかったら」
「そのまま空けておけばいい」。あなたは簡単に答える。
「みんなが書いてきたら」と重ねて訊く。
女子校で学んだことを思い出す。珍しいものと見なされたら最後、ダンスカードは軽々しい手で埋められる。その居心地の悪さを胸へ押し込んで、ひと言だけ返す。「そのときはわたしが遮る」
「無理をするな、小さなカナリア」
ケイトは笑った。明らかにずいぶん楽になっている。
舞踏会の広間の扉をくぐると決めたとき、あなた自身も「着せ直される」ことになる。
あなたが着替えたのは淡い銀青色のドレスだ。繻子がガス灯の下で冷たい水の膜のように光る。四角い襟もとは鎖骨と首すじの線を清潔に見せ、短い袖は肩に沿って袖口できちんと収まり、臆病な飾りとは誤解されない。裾はそこから広がり、布量があって、床に短い引き裾をつくる。あなたの一歩一歩をより「体面」のあるものとして書き取るように。
髪は低い位置にまとめられ、毛筋は撫でつけられ、細いピンがいくつか、光を一度返してすぐ沈む。その控えめな光り方は、ロンドンの食卓で身につけた分寸に似ている。靴は踵の低いダンスシューズで、甲はなめらかで、つま先は尖りもせず鈍くもない。長く立っていても、無作法に揺れることがない。
すべてを規則どおりに身につけたのに、それでも感じる。この衣服はあなたが呼吸しやすいためのものでも、歩きやすいためのものでもない。肩を引くことを、指を適切な位置に置くことを、本当の体温と脈を布の冷たい光のなかへ隠すことを、要求している。さっき仕立て屋でケイトに手袋をはめてやったとき、あなたはまだそれを「小道具」だと思っていた。いま自分の手袋が肌に貼りついて、ようやくその小道具が自分の上で立てる小さな音が聞こえる。人をあるべき位置へ戻す、やわらかくて、それでいて拒めない拘束の音だ。
日が沈み、残光が世界を橙に染めるころ、馬車に乗り込む。ケイトは踏み台をうまく踏めない。裾が、慣れた大股を許さない。つま先を小さく収め、膝にも気をつけなければならない。彼女は低く悪態をついた。布と喧嘩しているようだ。
あなたは手を伸ばして支える。指が彼女の手首を掴むと、脈がとても速い。
車輪が石畳を渡る。窓の外を炭鉱町の暗がりが過ぎ、選炭場の灯が遠くの蛍のように見える。もう少し行くと市庁舎のほうが明るくなる。ガス灯がひとつ、またひとつ、白く冷たい光で。車内に残る革のにおいと、洗ってもまだ石炭の煙を一筋まとうケイトのにおいが混ざる。
広間の入り口には出迎えの人がいる。高いところでガス灯がしゅうしゅうと鳴り、硝子のホヤのなかで白い光が揺れて、絨毯を暗い色の川のように照らしている。このデビューがそもそも父の計画であることは分かっている。彼はあなたを社交界へ押し戻し、あなたの結婚の値打ちを台に並べるつもりだ。
あなたはケイトの腕を取り、その扉へ向かう。
扉が開くと、笑い声と香水が暖かい潮のように顔に押し寄せる。ケイトのダンスカードはまだ開かれてもいないのに、最初の視線がもう彼女に落ちている。
ケイトの肩と背が一瞬こわばる。彼女は退かない。顎を上げる。選炭場で職長に向かうときと同じように。ただ今度は、拳が手袋に包まれていて、裾が歩幅を縛っている。
入っていくとき、彼女は無意識にあなたの裾を掴んだようだった。耳もとで、ごく小さな嘲りが聞こえる。
「小さなカナリア、わたしを連れ込んで、あんたたちみたいに歌うところを見たいのか」
あなたは答えない。ただ腕を少し締めて、彼女を奥へ連れていく。
3.3 1842年の傷と、白い手袋のなかの笑い
宴の広間は外よりも暖かく、光が銀器の上で細かく砕けている。弦楽が壁ぎわで軽やかな曲を弾き、弓の音が細い雨のようだ。シャンパンの杯が軽く触れ合い、婦人たちの扇が開いては閉じ、扇の骨が小さく鳴って、笑いをレースの後ろへ隠す。
あなたはケイトと腕を組んで入っていく。ケイトのワインレッドは、この白い光のなかでいっそう深く見える。白磁の皿にこぼれた葡萄酒のようだ。彼女はダンスカードを握り、指が張りつめている。
すぐに気づく。多くの視線が彼女に落ちている。
眺めているのではない。選り分けている。帽子の飾りから裾へ、手袋から腰の線へ、そして最後に顔で止まる。「この人はどこに属するのか」を判定するように。紳士たちはダンスフロアに背を向けて輪になり、低い声で話している。父はその輪のふちに杯を手にして立ち、手順どおりに進む展示を眺める顔をしている。
ケイトの視線が父をかすめ、すぐに戻る。熱い金属に触れたように。
そして、媚びが潮のように押し寄せてくる。
まず燕尾服の若い男が、シャンパンと練習してきた笑みを持って近づく。彼の目が彼女の首すじで一瞬止まり、またすぐ滑って、ドレスの色を褒めているだけのふりをする。「お嬢さん、ワインレッドを着こなせる方はめったにいない。あなたは生まれつきこの色のためにあるようだ」
ケイトはシャンパンを受け取らないし、笑いもしない。ダンスカードを手のひらに当て、手袋の下の指の節はまだ伸びきったまま、目は冷たい。若い男はきまり悪そうに笑みを引っ込め、下がりぎわにもう一度振り返る。珍しい陳列品から離れがたいように。
二人目はもっと不躾で、口調も軽く、機嫌を取りにくる。「カーディフからいらしたのですか。それとも……ロンドン?」。彼は「ロンドン」を大げさに言う。その都市の名を出しさえすれば、彼女を想像上の上流の系譜に組み込めるとでもいうように。
ケイトの答えはひと言だった。「ちがう」
その声が話を刃のように断ち切る。相手は言葉に詰まり、すぐ笑ってごまかし、背を向けるときには耳の先が赤い。人前で体面をいくらか抜き取られたように。
それでも彼らは諦めない。冷たいほど謎めいて、いっそう離れがたくなる。広間にはすぐ囁きが回る。あのワインレッドの「冷たい美人」は誰なのか。姓は何なのか。なぜあなたに腕を取られて入ってきたのか。どこかの貴族の分家の娘なのか、中央の役人の親族なのか。
ケイトはそのどれにも興味がない。ここの礼儀も、社交辞令も、含みのある笑みも分からないし、合わせる気もない。だから自分のやり方で対処する。顔を強張らせ、視線を遠くへ置き、近づく者すべてがまず壁に当たるようにする。彼女の沈黙は奇妙な装身具のようで、その美しさをいっそう目に刺さるものにする。
父も気づいた。
紳士たちの小さな輪から出てきて、指に杯をはさみ、視線をケイトに落としたとき、めずらしく満足の色が浮かんだ。棚に値の上がる品が並んだのを見た商人のようだ。彼はあなたのわきへ来て、静かに、あなたを認める声で言った。
「よくやった、イザベル。おまえの友人は、とても適している」
ほかの人たちと同じだ。ケイトの冷淡さを教養と取り、沈黙を慎みと取り、礼を返さないことを、高貴な生まれにだけ許された気難しさと取っている。
ケイトはあなたのわきに、まだ冷たい顔で立っている。ダンスカードはまだ開かれず、ペンも下りていないのに、その顔がすでに狩りを呼び寄せている。
あなたはケイトを、ある地方官のほうへ連れていこうとする。新聞で顔を見たことがある、キア・ハーディの追随者だ。最近、彼についての小さな記事があって、労働者の政党の政界進出を支持し、落盤で亡くなった炭鉱夫の遺族のためにより多くの補償を求めている、と書かれていた。
けれど二歩踏み出したところで、わきの紳士たちの輪から声がひとつ高くなった。酒の気と興が乗っている。
「あの古い報告書を見たことがあるかね。王立委員会の……四二年より前の」
もうひとりが受ける。「もちろん。挿絵がまた実に——」。少し間を置いて、より適切な語を選ぶふりをして、いちばん軽いものを選ぶ。「荒唐無稽だ」
彼らが言っているのは、1842年の鉱山法の背後にある調査、王立委員会が坑内労働についてまとめた報告だ。その報告には図がある。坑の狭い巷道で、男と女と子どもがひしめいて働く様子。湿って、暗く、泥水が膝まであり、衣服は汗と泥で身体に貼りついている。ヴィクトリア朝のロンドンがこの光景に返した反応は、しばしば同情ではなく恐慌だった。「秩序」が炭泥で塗られたのを見たように。「体面」が坑の底で剝ぎ取られたのを見たように。
そして禁令が出た。女は坑へ下りてはならない。法の刃がまず切ったのは危険ではない。まず「道徳」を切った。
紳士たちの話は、その刃の縁を滑っていく。
「考えてもみたまえ」とひとりが言う。「男と女が一緒に、半裸で……あれは何だ。家畜小屋も同然だ」
「だからこそ禁じたのだ」ともうひとりが受ける。「彼女たちを守り、そしてわれわれがそんなものを見なくて済むように守る」
笑いがひと波広がる。シャンパンで潤された笑いはやわらかく聞こえる。白い手袋がテーブルクロスを叩くような音だ。婦人たちの扇が震え、扇面が口もとを覆い、目が細くなる。
ケイトはあなたのわきで、一寸ずつ張りつめていく。息が短くなるのが分かる。ひと息を喉に含んだまま吐こうとしない。手袋のなかで指が締まり、ダンスカードが弧に曲がって、紙のふちが折れそうになる。
そして急に分かる。彼らが話しているのは「あの時代の女」ではない。ケイトの家族と隣人のことだ。彼女の祖母、隣の家の女たち、早く大人にならざるをえなかった娘たち。彼らの口のなかで、それがすべて「恥知らず」の図像になり、酒席の笑い種になっている。
ケイトが半歩前へ出て、大きな声で言った。
「あんたたち、坑へ下りたことがあるのか」
輪の男たちが振り向いたとき、その顔には愉快そうな興味が浮かんでいた。彼らの想像では、この冷たい令嬢が急に鉱山の話を始めたのは、物珍しさか、上流の社交にある「貧しい人の暮らし」を話題にする優雅な冒険だ。
「坑の底?」。ひとりが笑って杯を上げる。気の利いた文句を受けるような口ぶりだ。「お嬢さん、あなたもああいう話がお好きなのですか」
わきの男がすぐ続ける。話をリレーのように渡していく。「ああ、あの挿絵は恐ろしい」。声を落とし、下品な冗談を言うように。「男も女も一緒で、ほとんど何も着ていない」
扇が閉じて開き、婦人たちの笑いを隠す。
あなたはすぐ話を断とうとする。「皆さま——」
けれど彼らはあなたの焦りを「あまり露骨にするな」という注意と取り違え、いっそう得意になる。杯を上げた男がケイトのほうを向き、思いやりのある顔をつくる。「もちろん、いまは文明化されています。法がとうに禁じましたから。あなたは正しい時代に生まれた幸運を喜ぶべきだ」
ケイトは反応しない。
もうひとりの若い男が、軽薄な慇懃さで近づき、ペンを彼女のダンスカードへ差し出す。「そういう題材がお好きでしたら、喜んで一曲お相手しながらお話ししましょう。最初の一曲をわたしに、いかがです」
そう言うとき、彼の視線が彼女の手袋で一瞬止まる。黒く、清潔で、やわらかい。彼女の「高貴さ」を証明するもののように。彼は自分が差し出したのは遊戯だと思っている。
次の瞬間、ケイトはもう一方の手を上げ、手袋の指先を掴んだ。あってはならない皮膚を掴むように。羊革を力まかせに引き下ろし、半分まで脱いだところで止める。全員にはっきり見せるかのように。それから、完全に剝ぎ取った。
灯りがその手に落ちる。
ピアノが作った手ではない。舞踏会でよく見る細く白い手でもない。手のひらには厚い胼胝があり、指の節は太く、親指の付け根は裂け、爪のふちには洗っても落ちない黒が嵌まっている。その一瞬、広間じゅうの「高貴な憶測」が針で破られ、漏れ出したのは石炭の粉のにおいと、機械油のにおいと、一秒も遅れられない選炭場の現実だ。
ケイトは手を灯りへ掲げる。声は高くない。それなのに、酒杯に投げ込まれた石のように落ちる。
「あんたたちの言う坑の底の女」と彼女は言う。「それはたぶん、わたしの祖母だ」
視線が紳士の輪を、扇の後ろの笑う目を、白い手袋と銀のナイフとフォークを、ひとわたりなでる。「あんたたちは彼女たちを挿絵にして、笑い話にして、恥だと言う。じゃあ、うちは何で生きてきた。この手でだ」
広間が一瞬静まる。弦楽の弓が弦の上で長く震える音を引きずる。どの拍に降りればいいのか分からないように。
ペンを差し出した若い男の顔で、笑みが固まる。人前で打たれたようで、それでも体面を取り返したくて、声が甲高くなる。「お嬢さん……なにもそこまで。これは——」
「体面がない?」。ケイトが言葉を奪い、最後のふた文字を冷たく吐き出す。
もう一方の手袋も引き抜く。そちらの手のほうが裂け目がはっきりして、指の腹の胼胝も厚い。両手をテーブルクロスのふちに置き、手のひらでその白い布を押さえる。布にはすぐ薄い灰色の影がつく。
息が重くなる。彼女がもう制御の縁にいることが、あなたには分かる。
男はまだ笑ってごまかそうとして、ダンスカードへ手を伸ばす。「まあまあ、そこまでおっしゃるなら——」
ケイトの手の甲が杯を引っかけ、杯の縁が銀器に触れて短く「ちん」と鳴った。小さな音だ。それなのに鉄の柵を叩いたように響いて、彼女のなかのもっと慣れた規則を呼び覚ます。
彼女は手を上げ、テーブルクロスを掴んだ。
布が一気に引かれ、銀器と杯が一斉に滑って、鋭い擦過音が曲を裂く。シャンパンが飛び、白い手袋に、ドレスの胸もとにかかる。悲鳴が上がる。椅子の脚が床を擦って鈍く鳴る。燭台が傾き、炎が半寸跳ねる。
ケイトはテーブルをひっくり返す。動きは直截で、切れがいい。ズリの籠をひとつ空けるように。ペンを差し出した若い男が下がる間もなく、襟を掴まれる。拳が当たる鈍い音を、あなたははっきり聞いた。相手はよろめいて椅子の背にぶつかり、顔にすぐ血の点が浮く。
音楽が止まり、笑いが切れ、荒い息と驚きの声だけが残る。
あなたはケイトの手首を掴もうとする。彼女が振り返ってあなたを見る。その目に狼狽はない。あるのは冷たい怒りだけだ。
そしてようやく分かる。彼らは、彼女が誰かを知ったうえで辱めたのではない。まったく逆だ。彼らはまず彼女を「高貴な玩具」と見なし、話で楽しませようとした。
彼女が自分の手でその誤解を裂き、石炭の粉と傷を灯りの下に広げて、はじめて笑いは恐怖に変わったのだ。
3.4 ひっくり返された食卓と、扉の前の選択
殴られた男が鼻を押さえ、指のあいだから赤い血が流れ落ちる。
ケイトは誰かが「捕まえろ」と叫ぶのを待たない。かつらを引き剝がし、裾をすくい上げ、背を向けて駆け出す。網から裂け目をひとつ作って抜けるように、驚いた視線を越えて、扉へ突き進む。
ガス灯はまだしゅうしゅうと鳴り、倒れたテーブルクロスと、散った銀のフォークと、砕けた杯を照らしている。こぼれたシャンパンが絨毯へ広がり、甘ったるい酒の気が蠟のにおいと混ざって鼻腔に貼りつく。
あなたも動いた。
肩掛けが引き歪み、髪の細いピンがひとつゆるんで、額のわきに一筋落ち、汗ばんだ肌に貼りつく。裾を持ち上げて追い、踵が板の床を短く鳴らす。扉が開くと廊下の冷たい風が流れ込んで、冷水を顔に浴びせられたようになる。広間の笑いと悲鳴は扉に断ち切られ、背後でぼんやりした唸りだけが揺れている。
「イザベル!」。背後で父の声。「戻りなさい」
母も二歩追ってきて、指があなたの手首を掴む。爪が手袋の革に食い込む。「気でも違ったの。あなたは招かれた客よ。体裁というものがあるでしょう」
あなたは一瞬止まる。骨まで刻まれた従順と教養のせいで、半歩遅れる。ケイトはもう遠くへ行ってしまった。そして母はあなたを広間へ連れ戻す。
父は頭を下げて詫びている。予期せぬ損失について話すように。「皆さま、お許しを。娘は情に流されやすく、慈善学校をやっておりまして、生徒をひとり、世間を見せようと連れてきたのです。田舎の者は……作法を知らぬもので」
誰かが同意して笑い、「田舎」という語を繰り返す。
母がわきからもう一文、もっとやわらかく足す。「あの子は驚いただけですの。炭鉱町の者は気が短くて。こちらで始末いたします」
炭鉱町の者。
その言葉があなたの耳に落ちると、さっきの1842年の冗談より冷たい。ケイトが手袋を脱いだときに見せた裂け目と胼胝を思い出す。「それはたぶんわたしの祖母だ」という言葉を思い出す。路地で男たちの手からあなたを引き出したとき、彼女がひと言も説明しなかったことを思い出す。あの灰色の夜の色、石油ランプの黄色、曲がった字、そしてくすくす笑い。補習の夜、あなたが帰るたびに彼女がそっと後をついて、家に入るまで見届けていたことも知っている。あなたは言わず、彼女も口に出さない。互いに承知している遊戯のように。
あなたは手首を母の指から抜く。
「あの人はわたしの生徒ではありません」とあなたは言う。大きな声ではない。それでもはっきりしている。「わたしが連れてきた客です」
父の目が沈む。「自分が何をしているか、分かっているのか」
あなたはもう父を見ない。背を向けて扉の外へ歩く。廊下の突き当たりの隙間から夜が入ってくる。外の風には石炭の煙のにおいがある。
ケイトに追いついたとき、ワインレッドの裾は埃で灰色になっていて、踵が石畳で一度滑った。
彼女は振り返ってあなたを見る。目に火花がある。
「近寄るな」と言う。
あなたは息を切らしている。「ケイト——」
「まだ何か言うことがあるのか」。声が張りつめる。「自分は優しいと? ただの親切心だと? わたしを連れ込んだのは、機会をやるためだったと?」
一歩踏み出して、手首に触れようとして、止める。彼女の手袋はもうない。手の甲の傷が月の光に白く浮いている。
「わたしはあなたの側にいる」とあなたは言う。「さっきは——」
両親と、硝子をぶら下げたあの部屋と、あの世界のすべてとのあいだで、あなたは彼女を選んだのだと伝えたい。けれど彼女は言わせてくれない。
笑いがひと吹き、あなたの言葉を断つ。彼女は咳き出すように叫んだ。「わたしの側? あんたが一度立ち上がったくらいで、あの部屋じゅうの色眼鏡が拭けるとでも思ってるのか」
半歩詰めてくる。ワインレッドの裾が足もとで震える。
「あんたはあそこへ入っていける。それは、あんたがあっち側のものだってことだ」。まっすぐに見据える。「あんたの父親の姓、あんたの家の株、あんたの手袋、あんたの灯り、あんたのペン、あんたの本、あんたの綴り——全部あっち側のものだ。あんたはわたしを引きずり込んで、見させて、当てさせて、もてあそばせた。それを機会と呼ぶのか。あれはいまいましい見世物だ。あんたは奴隷商人みたいに、わたしを売ろうとしたんだ!」
喉に乾いた石炭が詰まったようになる。自分もあの灯りに照らされている、自分も商品として並べられていると言いたい。あの食卓で微笑むことを強いられているのだと言いたい。けれど口を開いたとたん、ケイトが投げ返す。
「あんたがいちばん得意なのは体面だ」。その目は刃のようだ。「体面よくごめんなさいと言い、体面よく同情し、体面よく家へ帰る。あんたは明日もピアノの前に座って一曲弾ける。石炭の煙はあんたに触らない」
その一文が冷たく刺さる。彼女が一面を全体にして誇張していることは分かっている。そして、いま彼女に残っている武器がこれしかないことも分かっている。すべての痛みを、いちばん近くにいる人に押しつけるという武器が。
口を開いて、最後にひと言だけ出た。「わたしはあなたを笑い話にしたことはない」
「でも、笑われるところへ連れていった」。ケイトの声が跳ね上がる。「あんたはわたしをドレスに詰め込んで、手袋に詰め込んだ。石炭の粉を絨毯の下に押し込むみたいに。あんたはきれいだよ、イザベル。きれいすぎて、吐き気がする」
言い終えると背を向けて行ってしまう。
裾を持ち上げた布が、石畳の上で急いた音を引く。二歩追って、止まる。これ以上追えば、いっそう憎まれるだけだ。
夜が彼女を呑み込む。ガス灯の光はここまで来るとひどく薄い。褪せた布のようで、どんな傷も覆えない。
あなたは風のなかに立ち、はじめてはっきり感じる。あなたの姓は代償を取り立てる。父から始まるのではない。あなたがいちばん守りたかった人から始まるのだ。
翌朝、学校の扉を開けると、敷居のわきに石炭を入れる籠が置かれていた。籠の縁は擦れて光り、編み枝には石炭の粉がついている。選炭場から出てきたばかりのようだ。
なかには、あなたが贈った紙とペン、ふたりでめくったあの本、そしていちばん上に、あのワインレッドのドレスがたたんで載せてある。布はとてもきちんと折ってある。二度と皺を寄せまいとするように。そのわきにダンスシューズ。
書き置きはない。ケイトはいちばんインクを使わないやり方で、言うべきことを言い終えている。全部、返す。
外で子どもの足音が駆け寄ってくる。笑い声にはまだ朝の冷たさがある。顔を上げると、黒板は薄暗がりのなかで暗く、チョークの箱が静かに置かれている。
石油ランプの下のあの夜には、もう戻れない。少なくともいまは、戻れない。