境界を越える祝祭——唐の女たち
八世紀の長安、胡服と乗馬とポロ。唐の女性たちは、帝国が最も開かれた時代に、いかにして性別の境界を越えていったのか。
八世紀の長安は、帝国の政治の中枢であるだけでなく、ユーラシア大陸の文化の坩堝でもありました。シルクロードのかつてない繁栄とともに、中央アジアや西アジア、さらに遠くから来た暮らし方と美意識——「胡風」——が、中原の地を覆っていきます。
当時の唐の女性にとって、この異国からの風がもたらしたのは、新しい香料や珍しい品だけではありませんでした。それはむしろ思いがけない鍵のように、新しい世界の扉を開いてくれるものでした。性別と空間の境界を越えていくこの祝祭のなかで、唐の女たちは胡服をまとい、馬にまたがり、歌いはじめます。
一、胡服と男装——ひとつの「行動の自由」
唐の長い衣と広い袖は確かに美しいけれど、本当に動きにくいものでした。胡の人々がシルクロードを越えてやって来たとき、唐の女性たちは敏感に気づきます。胡服は実用的で、きびきびしている、と。折り返しの襟、細い袖、腰を締めるペルシア錦の長衣に、裾のすぼまったズボンと先の尖った柔らかい靴を合わせる。それが当時の長安の街でいちばん先端の装いになりました。

西安や新疆などで出土した唐代の女性の俑を通して、わたしたちはひときわ生き生きとした女性の世界を見ることができます。胡服の細い袖、軽くかぶった帷帽、高く上がる馬の蹄、風にのって流れる楽の音。


この男装の女性立像は、結った髪を黒い幞頭のなかに包み、丸襟でまっすぐな裾の長衣を着ています。幞頭も、袍も、靴も、当時の男性の装いです。唐代の女性が男装をするのは流行でした。彼女たちは堂々と胡服を着ただけでなく、丸襟の漢式の男性服をそのまま身につけ、本来は男性のものだった黒い幞頭までかぶったのです。
二、帷帽を脱ぎ捨て、馬に乗って駆ける
唐より前の時代には、身分のある女性は外出のときでも、閉ざされた輦車に乗るか、全身をすっかり覆う「羃䍠」(全身を覆う長い網の帽子)をかぶらなければなりませんでした。


ところが八世紀になると、この目を隠すものは急速に崩れていきます。まず羃䍠を、顔だけを覆う「帷帽」に変え、やがて帷帽さえ捨てて、毛皮をあしらった西域の「胡帽」をかぶり、最後には「髪をあらわにして馬を駆る」ようになりました。何ひとつ遮らずに、向かい風を受けるようになったのです。



しかも唐の女性は、外出するだけではありませんでした。きわめて力強い乗り手であり、競技者でもあったのです。新疆トルファンのアスターナ古墳群や、陝西の唐墓からは、女性の騎馬像が大量に出土しています。彼女たちは横乗りではなく、またがって馬に乗り、当時の激しい競技スポーツ——ポロ(撃鞠)にも参加していました。



三、胡旋の舞、馬上の歌
西域から伝わったのは衣服や香料だけではありません。生命力にあふれた胡の音楽と舞も入ってきました。中原の伝統的な女性の舞は、やわらかさと内向きの抑制を重んじます。それに対してソグド人由来の「胡旋舞」や「胡騰舞」はまったく違いました。急き立てるような康国の楽に合わせ、小さな円い敷物の上で激しく回転する。力と張りに満ちたその舞は、たちまち唐の女性たちのあいだに広まりました。

この一組の女性像には、女性の装いであでやかなものもあれば、胡服や男装で凛としたものもあります。唐の貴族女性の、明るく自信に満ちた、堂々とした姿がそこにあります。
舞だけではありません。西安博物院には、きわめて象徴的な「彩色陶器の騎馬奏楽女性像」の一組も収蔵されています。五人の漢人女性が男装で馬に乗り、左から順に箜篌、琵琶、篳篥、鈸、腰鼓を奏でています。

おわりに
八世紀の唐は、シルクロードの風と砂に吹かれて、中国古代の女性史のなかでもきわめて特別な光景を生みました。胡服をまとい、西域のぶどう酒を飲み、馬上でポロをし、歌いながら、自分の身体と行動で、その時代の広さを測っていったのです。
彼女たちはもう、室内や屏風の絵のなかだけにとどまってはいません。馬の背に、道の上に、狩りやポロや楽の場面のなかに現れます。胡服は動きを軽くし、馬は身体をより遠くへ運びました。胡の人々が馬に乗ってやって来た。そして今度は、彼女たちが馬に乗って、より広い世界へ入っていったのです。
物語の背景
この記事は、オリジナル小説『彼女はどこへ行く』のための調査ノートです。『彼女はどこへ行く』は西暦632年、ひとりの女がシルクロードを通って、サーサーン朝ペルシアの黄昏から唐の盛世へ向かい、自分の答えを探しにいく物語です。この記事の中国語原文は逾越边界的狂欢:唐朝的女人们にあります。