The Song of Inanna イナンナの歌

資料室

帝国の地図の余白——北海の人々の、本当の航海の世界

ローマ人が見た北の荒野は、本当に何もない場所だったのか。ヴァイキング時代の羊毛の帆一枚には羊およそ2000頭分の毛と数千時間の労働が要る。帆を織るのは、当時の北海の女たちの重要な仕事だった可能性が高い。

物語のなかで、北海は女剣闘士スキュラの故郷であり、彼女の信仰の出どころでもあります。ローマの巫女クラウディアの語りのなかでは、そこの人々は骨の針と銅の輪で髪を束ね、アザラシの皮と粗い羊毛をまとい、潮風と魚の生臭さと血の匂いを連れて海からやって来ます。琥珀、鯨ひげ、獣の皮、巨大な海獣の長い牙を運んでくると同時に、ローマ人には理解できない神々と物語も運んできます。けれどアエリアの目には、そこはほとんど空白でした。

一、ローマ人の見た北

ローマ時代の地図は地中海を中心に描かれ、北へ行くほど記述は減り、世界のふちに至れば、あとは広大な荒野が残るだけです。けれどスキュラが来た場所は、本当に何もなかったのでしょうか。

実際には、ローマ人が北から来た琥珀を身につけ、北海の品が交易路を通って帝国の奥へ入っていったとき、「荒野」と呼ばれたその土地は、とっくにローマと強く結びついていました。わたしたちは知りたくなりました。女剣闘士スキュラは、ローマへ来る前、どんな暮らしをしていたのだろうと。

地中海を世界の中心に据えたローマ時代の地図

二、北海の女たちの仕事かもしれないもの——帆を織る

北の人々は海のそばに暮らし、いちばん欠かせない財産は船で、船には必ず帆があります。驚くことに、当時、帆を織るというのは想像を超える「重工業」でした。外洋を行く大型船の羊毛の帆は面積が100平方メートルに達することもあり、羊およそ2000頭ぶんにあたる200キログラムの羊毛と、数百から数千時間の労働を必要としたのです。

ヴァイキング時代の羊毛の帆を張った船

現代の試算によれば、ヴァイキング時代の帆一枚(原料と労働力を含む)は、いまの価値でおよそ180万から240万ドルに相当します。しかも一隻の船には、たいてい帆が二枚必要でした。当時、北海の多くの女性が、手作業で帆を織る仕事に関わっていた可能性があります。(以上の数字は、ヴァイキング時代——紀元800年以降——の考古学的発見に基づくものです。)

スキュラのありえた暮らし(一)——船の上で帆を織る(イメージ)

ヴァイキング船(ヴァイキング船博物館蔵)

三、北海の女たちの仕事かもしれないもの——交易

スウェーデンのビルカ(Birka)——ヴァイキング時代の最も重要な交易の中心地のひとつ——では、交易や金融に関わる副葬品のおよそ三分の一が女性の墓から出土しています。東方の交易路から来た計量の道具と分銅についても、その約五分の一が女性の墓のものです。さらに興味深いのは、Stalsberg(2001)や Stig Sørensen(2009)の研究によれば、天秤ひとそろいと分銅、そして遠方から運ばれてきた品を傍らに置いて葬られた女性たちがいたということです。

ビルカの女性の墓から出た天秤と分銅

アイスランドには中世のサガ『ラクスダエラ・サガ』があり、アウズ(Aud)という女性が、自分で船を造り、装備を整え、交易の航海に乗り出していく物語が語られています。

北欧の伝承にある、自ら船を造り交易を営んだ女性(イメージ)

スキュラのありえた暮らし(二)——船で交易に走りまわる(イメージ)

四、ネハレンニア——海の底から引き上げられた神

ネハレンニア(Nehalennia)とは、いったい誰なのか。かつて北海沿岸の人々は、この海の女神を広く信仰していました。現在のオランダでは、彼女に捧げられた祭壇が160基以上見つかっています。

ネハレンニアの像

祭壇の銘文によれば、多くの商人が北海を越える航海を終えたあと、彼女に願ほどきをし、荷が無事に港へ着いたことを感謝していました。

ネハレンニアに捧げられたさまざまな小さな祠

研究者によれば、「ネハレンニア」という名前はケルト語の「海」に関わる可能性があり、意味はおおよそ「海を守る者」。北海沿岸に暮らす人々にとって、彼女は海の神であると同時に、帰りの航海の希望でもありました。

スキュラのありえた暮らし(三)——帰航のとき女神像に供える(イメージ)

おわりに

じつのところ、スキュラがそれまでどこで暮らし、どうやって女剣闘士になったのかを、わたしたちは厳密には決めていません。けれど当時の北海の人々の実際の暮らしをたどっていくと、散らばった痕跡がいくつか見つかります。遠くから来た琥珀のかけら、海の底に沈んだ祠、交易に使われた分銅、海風をはらんだ帆。

だからわたしたちは、その断片に沿って想像するしかありません。剣闘士になる前、彼女は海辺に立って船の帆を織っていたかもしれない。商船に乗って嵐を抜けたかもしれない。帰航のとき、ネハレンニアに小さな供え物を捧げたかもしれない。

物語の背景

この記事は、オリジナル小説『女剣闘士の死』のための調査ノートです。『女剣闘士の死』はトラヤヌス帝時代のローマを舞台に、ひとりの女剣闘士の死をめぐって、帝国の秩序と、崩れていく信仰と、女たちの運命を五幕で描きます。この記事の中国語原文は帝国版图上的留白:北海人真实的航海世界にあります。

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