The Song of Inanna イナンナの歌

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男装のカウボーイ——実在した西部の伝説

西部劇は女性を「助けられるのを待つ脇役」に押し込めてきた。けれど歴史には、男装して西部を渡り歩いた女たちが実在した。チャーリー・パークハースト、リトル・ジョー・モナハン、そしてカラミティ・ジェーンの実像。

西部劇の主流の語りのなかで、女性はたいてい二つの姿に押し込められます。助けを待つ牧場主の娘か、酒場の妖艶な踊り子か。けれど実際の十九世紀アメリカ西部は、映画よりずっと荒く、ずっと懐が広く、そしてずっと無茶でした。労働力が極端に足りず、出自ではなく能力だけが問われた「荒野の西部」には、過去を断ち切り、男装をして、銃と鞭を手に、男性として伝説的な生涯を送った女性たちがいたのです。

以下は、なかでも代表的な三人です。彼女たちの物語は、あの時代、勇気には性別がなかったことを示しています。

一、チャーリー・パークハースト(Charley Parkhurst, 1812–1879)

「彼」は西部の草原の「駅馬車の王」であり、そしておそらく、歴史上はじめて投票した女性でもあります。

十九世紀のアメリカ西部で、最も危険で、最も体力を試された仕事を挙げるなら、駅馬車(Stagecoach)の御者は間違いなくそのひとつでしょう。六頭の荒馬を操って断崖のあいだを駆け抜けながら、同時に強盗の待ち伏せにも備えなければなりません。

十九世紀アメリカ西部の駅馬車

1850年代のカリフォルニアで最も名の知られた御者のひとりが、「片目のチャーリー」(One-Eyed Charley)でした。

チャーリー・パークハーストの見た目は、人が思い描くいちばん典型的な西部の荒くれ者そのものです。背は低く、がっしりして、気が短く、嚙みたばこを好み、馬に蹴られて片目を失い、それでも眼帯をつけて働きつづけました。

チャーリー・パークハーストの肖像

彼はゴールドラッシュの時期に西部へやって来て、きわめて卓越した御者の腕で知られました。この危険な仕事を何十年も続けた、数少ない「古参」のひとりです。いちばん有名な武勇伝は、ロッキー山脈で最も悪名高い街道強盗——「シュガーフット」(Sugarfoot)とその一味を打ち破ったこと。のちにカリフォルニア州ソケル(Soquel)の郊外に牧場を買い、1879年12月29日、そこで亡くなりました。

亡くなって初めて、「彼」が女性だったことが分かったのです。

チャーリー・パークハーストの写真

歴史的な一票。 1868年、チャーリーは大統領選の投票をしています。歴史家は、これがアメリカ史ではじめて投票に成功した女性である可能性が高いと考えています。アメリカの女性が正式に選挙権を得るのは、その52年後、1920年のことです。

死後に明かされた秘密。 1879年、チャーリーは舌の癌(長年の嚙みたばこによるもの)で亡くなりました。遺体を整えていた近隣の人々は、この荒くれ者が女性であり、しかも出産の経験があったことに驚きます。この知らせは西部じゅうを騒がせました。強盗を一発で仕留めたあの御者が女だったとは、誰にも信じられなかったのです。

カリフォルニア州にあるチャーリー・パークハーストの墓碑

カリフォルニア州にあるチャーリー・パークハーストの墓碑。

二、「リトル・ジョー」・モナハン(Little Jo Monaghan, 1856–1904)

「彼」は、子どものために生涯名を隠しつづけたアイダホのカウボーイでした。

気性の激しかったチャーリーとは違い、「リトル・ジョー」は西部のもうひとつの、もっと内向きな生き延び方を体現しています。アイダホ州オワイヒー郡(Owyhee County)の人々の記憶のなかのジョーは、痩せて小柄で、性格は穏やかで、少し恥ずかしがりでした。

"リトル・ジョー"・モナハン

「男らしく」はないカウボーイ。 身体が小さかったため(約1.5メートル)、ジョーは大柄な男のように力ずくで荒馬を押さえつけることはできませんでした。けれど馬の習性をよく知っていて、もっと穏やかで技術的なやり方で馬を従わせました。馬の調教と家畜の世話に長け、辺鄙な牧場でひとりで暮らし、人と争わず、いつもひとりで行動していました。

映画『The Ballad of Little Jo』でリトル・ジョーを演じた俳優スージー・エイミス

映画『The Ballad of Little Jo』でリトル・ジョーを演じた俳優スージー・エイミス。

四十年近い偽装。 ジョーは男性として四十年近く生きました。1880年の共和党の予備選挙で投票さえしていますし、陪審員も何度か務めています。どちらも当時の女性には禁じられていた公的な事柄です。

真相と動機。 1904年、ジョーは肺炎で亡くなり、そこで女性だったことが分かりました。遺品を整理するなかで、その偽装の動機も推測されています。ジョーの本来の名はおそらくジョアンナ(Johanna)といい、東部から来た未婚の母でした。ヴィクトリア朝の道徳観のもとでは、未婚で子を産むことは社会的な死をほぼ意味します。彼女が西部へ来て「リトル・ジョー」になったのは、恥辱から逃れるためであり、そして男性の賃金で、遠くに預けた子どもを養うためだったと考えられています。

三、カラミティ・ジェーン(Calamity Jane, 1852–1903)

彼女は、性別の境界の上を歩いた西部の象徴です。

前の二人が「身分を完全に隠した」のに対して、有名な「カラミティ・ジェーン」(本名マーサ・ジェーン・キャナリー、Martha Jane Cannary)の経歴はもっと複雑です。彼女は本物の女性カウボーイでした。しばしば男装をしていましたが、自分が女性であることをわざと隠そうとはしませんでした。むしろ世間にこう見せているようでした。女だって、西部でこうやって生きていけるのだ、と。

カラミティ・ジェーン

性別を越えた生存。 ジェーンは西部史で名高い斥候であり、名射手であり、そして大酒飲みでもありました。鹿革の上着(buckskins)を着て、当時の女性がふつうした横乗りではなく男のようにまたがって馬に乗り、男のように飲み、男のように悪態をつきました。彼女は「男」になろうとしたのではありません。男が支配するこの世界で、同じだけの行動の自由を得ようとしたのです。

銃を手にして立つカラミティ・ジェーン

作り話と本当のこと。 彼女をめぐる伝説は多く、ワイルド・ビル・ヒコック(Wild Bill Hickok)の恋人だったとか、インディアン戦争で大きな戦功を立てたとか言われます。歴史家はその多くが作られたものだと考えていますが、ひとつ確かなことがあります。彼女は実際に軍で斥候を務め、あの過酷な環境をひとりで生き延びたのです。

忘れられた強さ。 その粗野な外見の下には、意外なほどのやさしさと粘り強さが隠れていました。1878年、デッドウッド(Deadwood)の町で天然痘が流行したとき、多くの屈強なカウボーイが恐れて逃げ出すなか、「カラミティ・ジェーン」は残りました。看護役を引き受け、昼夜を問わず、見捨てられた瀕死の病人たちの世話をしたのです。ふだんは酒場で酔っぱらっているあの名射手が、疫病のなかで驚くべき慈しみと勇気を見せました。

銃を手にしたカラミティ・ジェーンの有名な写真

ジェーンの生涯はのちにミュージカル『カラミティ・ジェーン』や、同名の映画数本に脚色されています。

おわりに

十九世紀のアメリカ西部という、荒々しい想像に満ちた時代には、想像力に富んだやり方で不公正と抑圧に抗った女性たちもいました。チャーリー・パークハーストは秘密を墓まで持っていき、その代わりに生涯にわたる職業上の敬意を得ました。リトル・ジョー・モナハンは偽装と引き換えに、平穏と子どもを守る手立てを得ました。そしてカラミティ・ジェーンは、ほとんど演技的なまでの誇張によって、女性が「何をすべきか」という人々の思い込みを壊しました。

彼女たちは西部史の脚注であるだけでなく、あの開拓の時代の「自由」という言葉の、いちばん生きた説明でもあります。

物語の背景

この記事は、オリジナル小説『西部の物語』のための調査ノートです。この記事の中国語原文は女扮男装的牛仔:历史上真实存在的西部传奇にあります。

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