『西部の物語』第五部:大雪と、新しい道
オリジナル小説『西部の物語』第五部(完結)。鉄道の町での静かな快復、汽笛に呑まれた別れの言葉、初雪の日の投げ縄の競技、そして海を収めた小さな木箱。
5.1 静かな快復
九月の終わりは、とても寒かった。
鉄道の町の朝には石炭の煙の匂いがあり、湿った冷えが窓の隙間から入ってきて肌に貼りつく。あなたは寝台に横になっていた。下のマットレスは硬く、粗い毛布が掛けられている。寝返りを打つたびに脚の傷が鈍く、しつこい痛みを送ってきた。まだ自分の身体に戻りきっていないと知らせるように。
あなたは高い熱を出していた。
熱が胸から上がってくるのに、額は冷たい。誰かが濡れた布で顔を拭いてくれて、水がこめかみを伝って落ち、わずかに熱を連れていく。目は開けられないのに、それがジョセフだと分かった。動きはとても軽く、あなたを起こさないようにしていた。部屋には炉があり、なかで薪が爆ぜているのに、それでも寒かった。
あなたは彼女に連れ戻された。
たったひとりで。 荷馬車ごと、あなたたちの家財ごと。
町の人はその話をしていた。運がよかったと言う者もいれば、気が触れていると言う者もいた。涸れ谷は地図の上では空白で、上からは入口すら見えない。荷馬車が消えた場所には、たどれる跡は何も残っていなかった。それでも彼女はひとりで七日歩き、あなたを連れ帰ってきた。
けれど、牛の群れはそう幸運ではなかった。嵐のあと、損失は大きかった。
あの夜、雷に驚いて散った牛がいて、低地に落ちて洪水に呑まれた牛もいた。数え終えてみると、四十頭以上が足りなかった。その年の相場では、牛一頭が三十ドルから五十ドルほどで売れる。千ドルを超える損失だ。父はこの一往復でほとんど儲けを出せず、運賃と人件費で足が出たほどだった。
朦朧としたなかで、あなたはその数字を聞いていた。
父の声が聞こえた。低く、ため息の混じった声。金の心配をしていて、同時に失敗の理由を探していた。何か言いたかったのに、声が出ず、その言葉が扉の外を流れていくのに任せるしかなかった。
町の医療はごく限られていた。
医者は一度来て、脚を診て、骨は折れていないが傷は深いから静養が要ると言った。瀉血をして、痛み止めを出していった。薬は苦く、ジョセフが水で少しずつ飲ませてくれた。飲み込めないと、彼女は手を止め、呼吸が落ち着くのを待ってから続けた。
たいていの時間、あなたは半分眠っていた。
けれど、はっきり聞こえた会話がひとつある。
父が部屋に立っていて、ブーツが板の床を短く鳴らした。彼はジョセフに話しかけた。声は高くない。
「探しに行けと言った覚えはない」と彼は言った。「だから、余分に払う気はない」
とても簡潔に落ちた言葉だった。
その表情が想像できた。怒りでもなく、感謝でもない。冷静に線を引いているのだ。報酬を求められるのを恐れていた。当時の相場では、カウボーイの月給は二十五ドルから四十ドル。けれどジョセフがいくら求めるかは分からない。その危険を冒したくなかった。
部屋が一瞬、静かになった。
ジョセフの呼吸が聞こえるようだった。
そして、彼女が口を開いた。
「一銭もいらない」
彼女は自分を弁護しなかった。七日間の捜索にも、涸れ谷の危険にも触れなかった。父を見さえしなかった。ただ水盆を持って下がっていった。その動きは落ち着いていて、この件が自分とは関係のないことのようだった。
父はそれ以上何も言わなかった。
あなたは寝台に横たわったまま、胸の奥を何かに打たれた気がした。金のせいではない。ただ、ふいに気づいたのだ。彼女は最初から、あなたたちから何かを得るつもりなどなかったのだと。
高熱のなかから、あなたは少しずつ意識を取り戻していった。
昼の光が窓から入り、床に落ちて、静かな線のようになる。汽笛がときおり遠くから聞こえて、もう晩秋で、鉄道が忙しく動きはじめていることを知らせる。町は冬の支度をしていて、あなたはこの寝台に縛られていた。
ジョセフはたいていそばにいた。
寝台のそばに座っているか、壁にもたれているか。ときどき出ていって、すぐに戻ってくる。多くは話さず、あなたが起きているときにはあなたを見て、まだ息をしていることを確かめた。金も求めず、認められることも求めず、礼のひとことすら求めなかった。
彼女はただ、あなたを連れ帰っただけだった。
胸のなかで何かが渦を巻いていた。それが何かは分からない。父の冷たさへの怒りか、ジョセフへの感謝か、それとも……ほかの何かか。
結局、あなたは考えないことにした。
5.2 落ち葉と別れ——言えなかった言葉
初めて寝台を下りたときには、もう十月の初めだった。
床は冷たかった。ブーツを載せると、木の冷たさが足の裏から這いあがってくる。うまく立てず、ジョセフがすぐ横にいて、腕をそっと添えるようにしていた。触れてはいないのに、いつでも受け止められるように。窓の外では風が枯れ葉を通りに押しやり、葉が石をこすって乾いた音を立てていた。
秋が居座っていた。
草原の色は褪せはじめていた。昼は短くなり、夜はもっと冷える。町の人がいちばん話しているのは冬のことだった。汽車はいつ止まるのか、荷は間に合うのか、雪で道が閉ざされたら北と南は切れてしまうのか。駅はいつになく忙しかった。
あなたはゆっくり窓辺まで歩き、遠くで蒸気が上がるのを見た。
ジョセフはこのあいだずっと付き添ってくれていた。
町のなかを短い距離だけ一緒に歩き、どこで止まるべきかを覚えさせてくれた。もう牛追いのときの服装ではなく、マントも軽いものに変わっていた。それでも歩き方は変わらない。相変わらず安定していて、まわりの気配に注意を払っている。
父は結局、彼女に金を渡した。
多くはない。
彼はそれを「命を救った礼」と呼び、賃金とは呼ばなかった。金額は折衷され、はっきり計算されていた。これが情ではなく、すでに清算された勘定だと示すように。あなたはその場にいなかったが、そのときの空気がひどく冷たかったことは分かる。
ジョセフは受け取った。礼も言わず、断りもしなかった。
それが何を意味するのかは分からない。ただ、それが彼女の望んだものではないことだけは、なんとなく分かった。
彼女が行くのだと、あなたには分かっていた。
その朝、あなたは父に告げなかった。
父が出かけるのを待って服を着替え、脚をきつく縛って、一歩ずつ通りへ歩いた。どの一歩も遅く、そしてはっきりしていた。町はまだ完全には目を覚ましておらず、空気には昨夜の炉の匂いが残っている。駅のほうへ歩いていくと、遠くから蒸気機関の低い唸りが聞こえてきた。
十九世紀の駅は、のちのように整然としてはいない。
駅の空気は町よりも濁っていた。石炭の煙、熱い鉄、水蒸気が混ざって喉に貼りつく。労働者が荷を運び、木箱、麻袋、鉄製品が一つずつ車両へ押し込まれていく。掛け声が飛び交う。機関車から蒸気が噴き出し、白い煙が渦を巻いて、人影をぼやけさせた。線路が足もとから伸びていく。冷たく、まっすぐに。
蒸気機関が低く唸る。いつでも動き出せる獣のようだった。
人混みのなかに、ジョセフを見つけた。
彼女はホームの端に立っていた。荷物は少ない。帽子を深くかぶり、マントを留めている。振り返ってあなたを見たとき、はっきりと一瞬固まり、それから足早にこちらへ来た。
「出てきちゃ駄目だ」と彼女は言った。
あなたは首を振った。
「来なきゃいけなかった」
風がホームの向こうから吹いて、彼女のマントの裾をめくった。あなたが立っていられずにいると、彼女は反射的に手を伸ばして支えた。速く、そして軽く。
「どこへ行くの?」とあなたは聞いた。
「もっと北へ」と彼女は言った。「森があって、川がある」少し間を置いて、「たぶん、生きているバッファローも」
それが運がよければの話だと、あなたには分かっていた。消えようとしているあのバッファローたちのことだ。川のように群れで移動するのではなく、孤独に、ばらばらに生きている。
それでもあなたはうなずいた。
「海を見に行きたい」とあなたは言った。
その言葉は、ずっと前から用意していた。いま口にしてみると、とても静かだった。それはもう、母が遺した話だけのものではない。あなたが認めはじめた方向だった。
彼女はあなたを見て、笑わなかった。
帽子を取って、会釈をした。初めて会ったときと同じように。
けれど今度は、冗談でも、別れの仕草でもなかった。対等な承認に近かった。ふいに気づいた。彼女は父の娘に、牧場主のお嬢さんに敬意を示しているのではない。あなたという人間に敬意を示しているのだ。
あなたたちは抱き合った。これが最後だった。
その身体は記憶より痩せていて、それでも変わらず引き締まっていた。あなたは強く抱いた。この時間ぜんぶを覚えておこうとするように。彼女の手がしばらく背にとどまり、それからゆっくり力がこもった。
彼女は何か言おうとしたようだった。頭を下げて、唇が動くのが見えた。
ちょうどそのとき、汽笛が鳴った。
音は巨大で、世界を裂きそうだった。白い煙が一気に溢れ、ホームのすべてを呑み込む。あなたには何も聞こえなかった。ただ彼女の唇が動くのが見えるだけで、その音は読み取れなかった。その一言は溺れてしまい、戻ってくる機会はもうなかった。
次の瞬間、彼女は一歩下がって、小さな箱をあなたに放った。
あなたは反射的に受け止めた。
箱は大きくなく、手のなかでとても軽かった。聞き返す間もなく、彼女はもう背を向けて、人の流れに沿って車両のほうへ歩いていた。蒸気がまた噴きあがり、あなたに見えたのはその背中だけだった。どんどん遠ざかっていく。
あなたはその場から動かなかった。追わなかった。
汽車が動きはじめた。
車輪が線路を踏んでいき、拍が少しずつ速くなる。あなたはそれが去っていくのを見ていた。最後の車両が白い煙のなかに消えるまで。ホームは少しずつ空になり、石炭の滓と、風に舞う紙くずだけが残った。
あなたはその場に立ち、手にあの箱を握ったまま、すぐには開けなかった。
言い終わらなかった言葉があるのを、あなたは知っていた。
そして、言い終える必要のないものもあると知っていた。
いま、汽車は行ってしまった。 そしてあなたと秋は、まだここに残っている。
5.3 開けられない木箱
宿に戻ったころには、もう暗くなっていた。
部屋はとても静かだった。寝具は整えられ、毛布はきちんとたたまれている。終わろうとしている滞在のための支度のように。窓の外の通りはずいぶん空いていて、風が落ち葉を押しては戻していた。あなたは寝台の端に座り、その小さな箱を膝に置いたまま、開けなかった。
開けなければ、まだ終わっていない——そう自分に言い聞かせるふりをしていた。
箱は軽かった。角は擦れて丸くなり、手のひらに沿う。うつむいてそれを見ていると、まだ駅の温度を保っていられるように思えた。枕もとに置いて、すぐにまた取り戻した。視界から離したくないというように。
父はもうすべてを片づけていた。
牛は売られ、帳簿は清算された。町の人はもうあなたたちの話をしない。カウボーイたちは散り、野営地は空になり、鉄道の町はもとの姿に戻った。父は出発の支度をしていた。雪の前に発つと言っていた。ニューヨークへ。
その名前がまた持ち出された。
十九世紀のニューヨーク。世界最大の都市のひとつ。港、工場、銀行、新聞社。人波、騒音、煙。あなたの知っていた草原とはまったく関わりがない。あなたは部屋に座って、その手配を聞いていた。他人の人生の話を聞くように。
そして、部屋から多くの音が消えたことに気づいた。
牛の低い鳴き声がない。 馬の鼻息がない。 夜番の足音がない。
そして、ジョセフもいない。
あの時間が、そっくり抜き取られてしまったようだった。夢のように、覚めたあと急速に色褪せていく。思い返そうとして、多くの細部がもう不確かになっていることに気づいた。時間のせいなのか、もう触れるのが怖いのかは分からなかった。
また母を思った。
ヨーロッパを離れ、この土地へ来た母を。かつて見たという海を。けれど今度ははっきり分かっていた。あなたにはもう、帰れる場所がない。牧場はなく、草原ももうあなたのものではない。記憶は連れ去られ、残っているのは、まだ歩き方を知らない前方の道だけだ。
あなたは箱を抽斗に入れ、閉めた。
それから横になって、天井を見つめた。外ではまだ風が吹いている。世界は前へ進みつづけ、あなたはここに止まっている。短く、静かに、ふたつの人生の隙間に。
5.4 初雪、馬に乗る女
十一月、最初の雪が落ちてきたとき、あなたは宿の入口に立っていた。
それは指先に落ちた。とても軽く、とても冷たく、様子をうかがうように。通りが一気にゆっくりになった。蹄の音は雪に吸われ、鈍く短くなる。軒下の水音は止まり、空気には清潔な冷たさだけが残った。町の人は空を見上げ、笑う者もいれば、悪態をつく者もいた。今年の雪は早い、と。
あなたは手を引っ込め、息を吐いた。
それでも町は止まらなかった。
向こうの空き地には、もう仮の木の囲いが作られていた。牛が何頭か引き出され、鼻から白い息を吐き、雪のなかで落ち着かなげに蹄を踏んでいる。木箱を運ぶ者がいて、掛け声を上げる者がいて、酒の匂いが冷たい空気に混じって人のあいだに広がった。初雪のあとの投げ縄の競技だ。雪が本当に道を閉ざす前に、町にもう一度だけにぎわいを。
あなたは人の輪の外に立って、それを見ていた。
前列に父が立っているのが見えた。姿勢はまっすぐで、結果を待っているようだった。その手はデイヴィッドの肩に置かれ、身をかがめて何か話している。その口調には、あなたのよく知っている期待があった。デイヴィッドはうなずいたが、明らかに緊張していた。十一歳。それでもまだ痩せていて、厚い上着にくるまれ、ほかの子どもたちのあいだで、ひときわ細く見えた。
彼がここへ連れてこられるのは三度目だった。
前の二回は負けた。一度は縄が手から抜け、一度は馬から落ちた。父は失敗をなんとも思っていなかった。これは鍛錬であり、いずれ覚えなければならないことだ、と言った。
競技を仕切る商人は眉をひそめてデイヴィッドを見た。その視線は細い手首と、ブーツにほとんど呑まれた脛でしばらく止まり、最後に首を横に振った。雪の日は滑りすぎると彼は言った。子どもが弱すぎるとも言った。何かあったら誰の責任になる、とも。
同意する者もいれば、小声で言い合う者もいた。
デイヴィッドの肩がゆっくり落ちていくのが見えた。父の顔色が沈んだ。口を開いたが、すぐには言い返さなかった。何を考えているかは分かる。デイヴィッドの安全より、父は面子を気にしていた。今回拒まれたことは、前の二回の失敗よりも受け入れがたい。
人のなかに立っていて、ふいに、胸の底から馴染みのあるものが上がってきた。
雪はまだ降っている。肩に落ちて、ゆっくり溶けていく。
あなたは息を吸って、一歩前に出た。ブーツが雪を踏んで、小さいけれどはっきりした音を立てた。
「わたしがやる」
声は高くないのに、その瞬間、異様にはっきり響いた。
人の輪が一拍、静まった。
商人が振り返ってあなたを見た。その目は顔から脚へ移り、また顔へ戻る。彼は笑った。親切な笑いではなかった。
「ここはままごとの場所じゃないぞ」と彼は言った。
誰かが笑った。
その笑いは冷たい空気のなかでいっそう鋭く響いた。あなたはそこに立ち、説明もせず、退きもしなかった。ポケットに手を入れて、あの銀貨に触れた。ジョセフがくれたものだ。いま、それは手のひらのなかで冷たく、それでいて確かだった。
あなたはそれを机の上に置いた。
銀貨が木に当たり、澄んだ音を立てた。短い沈黙のなかで、その音はやけに大きかった。
「賭ける」とあなたは言った。「あの馬に」
今度は、笑い声がもっと大きくなった。
「やれよ、ジョンの旦那。娘っ子が怖いのか?」
人のなかから口笛が飛び、声を上げて笑う者がいて、囃し立てる者がいた。商人は銀貨を見て、それからあなたを見た。父と同じで、彼も面子には勝てなかった。
「いいだろう」と彼は歯を食いしばって言った。
投げ縄の競技の規則は単純だ。馬で出て、縄を投げ、角にかける。力と、速さと、制御。三つのどれが欠けてもいけない。観客はほとんど男で、上着にくるまり、手には酒を持ち、値踏みする目で見ていた。あなたが出ていくのを見て、彼らはまず面食らい、それから笑った。
馬を引いてきたとき、雪はもっと密になっていた。
細かい白が馬の背に落ち、すぐに水になる。鐙に足をかけ、身を翻して乗った。鞍具は冷たく、革は張っている。腰を据え、余計な動きはしなかった。馬の背が身体の下で上下する。あなたは脚でそれをなだめた。話しかけるように。
まわりの声が聞こえていた。
嘲り。 噂。 苛立った催促。
あなたは彼らを見なかった。
あなたはその牛を見ていた。頭を下げ、蹄で雪を掻き、筋肉を張りつめている。一瞬待った。風向きが安定するまで。馬の呼吸が自分の呼吸と重なるまで。
そして、出た。
加速して、加速して、さらに加速する。それは、あなたのよく知っている感覚だった。
蹄が薄い雪を砕いて、短く乾いた音を立てる。近づき、腕を上げ、縄を投げる。動きは清潔で、余計な力はない。輪が空中で開き、すぐに締まって、正確に角へ落ちた。
人の輪の声が変わった。
牛が引かれて体勢を崩した瞬間、あなたは力を入れて踏みとどまり、身体を前に倒し、重心を低くした。馬は乱れなかった。どこへ行けばいいかを知っていた。ふたりで一緒に。対抗するのではなく、流れに乗って。牛は一度もがき、すぐに均衡を失った。
埃と雪がいっしょに舞いあがり、それでもあなたは持ちこたえた。
短い静けさのあと、弾けるような歓声が上がった。あなたはすぐには振り返らなかった。ただ馬を落ち着かせ、その力を身体の下に感じ、自分がまだここに座っていることを感じていた。
結果が告げられる前に、あなたにはもう分かっていた。
一番。
一番。
商人の顔色が変わった。しばらく黙っていたが、まわりに囃し立てられて、手綱をあなたに渡した。馬はそこに立っていた。鼻息は温かく、目は明るい。受け取ると、手のひらが熱くなった。
雪はまだ降っている。
あなたは馬に乗り、空き地をひと回りした。人々の歓声のなかで、自分がまだここにいることを確かめた。できるのだと確かめた。連れていかれるだけの人間ではないのだと確かめた。
その瞬間、なぜかジョセフを思い出した。
牛の群れのなかで安定して立っていた姿を。彼女が言った言葉を、その目を、その笑みを、馬に乗った姿を。本物のカウボーイのようだった。いや——彼女は本物のカウボーイだった。
そう思いながら、あなたは馬で、身なりのいい紳士たちの前を通り過ぎた。彼らは急に親しげな口調で話しかけたがった。あなたは止まらなかった。父とデイヴィッドの前を通るときも止まらず、そのまま前へ進んだ。
5.5 貝殻のなかの海、北への道
馬は身体の下でゆっくり歩いていた。前へ。
冬が来ていた。草原の色は削がれて薄くなり、冷たい光だけが残っている。風は北から吹いてきた。清潔で鋭く、襟を抜けて背を伝っていく。
手綱を引き、馬の背の上下に合わせて身体が軽く揺れる。すべてが静かだった。
ふいに、初めて馬に乗った日のことを思い出した。
あのころあなたはまだ小さく、脚は鐙にも届かなかった。父が抱きあげて、自分の前に座らせた。その手は安定していて、あなたの脛を支え、怖がるなと言った。馬が動き出したとき、あなたは怖くて鞍の前の革帯を握りしめた。
母が脇に立っていたのを覚えている。母は何も言わず、ただあなたを見て笑っていた。その笑みは軽く、こう言っているようだった。行っておいで、あなたならできる。それが、記憶のなかでいちばんはっきりした母の姿だった。
風の音が、その記憶をゆっくり散らしていく。
前へ。ずっと前へ。
馬が揺れ、鈴が鳴り、あなたは懐に手を入れて、あの箱に触れた。それはずっとそこにあった。身体に貼りついて、体温で温まっていた。馬を止め、その場でしばらく待ってから、箱を取り出した。
そして今度は、もうためらわなかった。あなたはそれを開けた。
なかには、貝殻がひとつ横たわっていた。
白くて、完全で、表面はなめらかで、水に何度もなでられたようだった。それは静かにそこにあって、何の飾りもなかった。
これが、海だった。これが、「始まり」だった。
そして、ふいにあの声が聞こえた。
ジョセフの声だ。汽車の轟きのなかで、汽笛に切り刻まれ、白い煙に呑まれたあの一言が、いまようやくはっきりした。
「会いに来て」と彼女は言った。「待ってる」
それは別れではなかった。
あなたは貝殻を手のひらに包み、箱をしまった。手綱を引く動きは、これまでのどのときよりもきっぱりしていた。馬はあなたの決断を感じ取り、頭を上げ、耳を立て、そして歩き出した。
前へ。ずっと前へ。
振り返らなかった。母はそこにいて、南はそこにあって、過去もそこにある。そして北には、森があり、川があり、まだ呼吸している世界がある。
行っておいで、と母が言っている気がした。
前へ。ずっと前へ。
振り返るな、と母は言っていた。
凍った地面に蹄の音が響き、その拍ははっきりして、揺るがない。風が正面から吹きつけ、冬の冷たさを運んでくるのに、あなたはかつてないほど目が冴えていた。
そうしてあなたは馬に乗り、北へ向かって駆けていった。