『パンとバラ』第五部:救出のあとで
オリジナル小説『パンとバラ』第五部。新聞は彼女たちを不屈のウェールズのカナリアと呼び、炭鉱はそれでも再開する。イザベルとマーサは不満を証拠に変え、ケイトは市庁舎の階段で叫び、1913年、絹の旗の下でワトリング街道を歩く。
5.1 救助のあと——鐘を呑み込んだ知らせ
1910年のクリスマスについてあなたが憶えているのは、松葉でも砂糖菓子でもない。石炭の煙が空を灰黄色に燻したこと、坑口の外の黒い泥に血が混ざっていたこと、泣き声が波のように鉄柵にぶつかっていたことだ。聖歌が礼拝堂の窓の隙間から漏れてくるとき、それは風に切り刻まれた布の切れ端のようで、炭鉱のはずれまで来ると途切れた尾だけになっていた。
あの数日、あなたは絶望を見た。絶望はひと言の文ではない。それには具体的な重さがある。名簿の空欄は坑のようで、どれだけ埋めても埋まらない。それでも、その暗闇のなかで、あなたははじめて自分を「籠」から引き剝がした。
女たちを連れて坑へ下りたとき、デービー灯の炎が一粒に縮むのを見ていた。「パンとバラ」の歌声を聞いた。炭鉱の女たち、はじめて坑へ下りた小さなカナリアたちが、喉で恐怖を押し返し、死神の手から人の命を奪い返した。あの金髪が石炭の煙のなかに再び現れたとき、あなたの希望も戻ってきた。
そのあとの救助は1911年の初めまで続いた。父は記者を止めようとした。電信の線を箱へ収めようとした。「損失」を、制御できる数字の列として書こうとした。それでも知らせは石炭の粉のように隙間から抜け出し、郵便局へ、新聞社へ、ロンドンの街なかへ入っていった。
新聞にあなたたちの絵が載った。毛布をかぶり、顔じゅう石炭の粉で、ランタンを提げて坑口の外に立つ女たちの群れ。見出しは大げさで、興奮していた——「不屈のウェールズのカナリアたち」。
町の女たちはその絵を囲んで笑った。「あのとき先に顔を洗っておけばよかった」と誰かが言う。絵のなかの泥のついた裾をつついて、こう茶化す人もいた。「下りる前にスカートを替えるべきだったね。ロンドンの人に石炭桶みたいに描かれずに済んだのに」。笑い声は部屋をひと回りして、隅の黒い喪の布に触れると、また沈んだ。
そして過ぎていった。ひと吹きの風が通り過ぎるように。欠けた名前は、風では吹き飛ばせない。
炭鉱の停止は冬の終わりまでしか続かなかった。男爵のいう「尽力」のおかげなのか、父の運が本当によかったのか、あなたには分からない。
その冬、イギリスじゅうで炭鉱の事故が相次いだ。かつて産出を競ったのと同じように、その冬の坑は死者の数を競っていた。まず十数人、次に数十人、やがて数百人。電報が次々に届き、新聞の紙面は黒枠で埋まった。あなたたちの小さな町の災害はすぐに「もの足りなく」なり、新しい見出しに押し下げられ、もっと大きな数字に覆われた。古い傷が、もっと痛い新しい傷に脇へ追いやられるように。
ロンドンのほうは熱くなった。街のあちこちで炭鉱事故が語られ、新聞社は増刷し、フェビアンのサロンでは人が茶碗を手に「制度」と言い、「規則」と「資本」を言った。炭鉱夫の写真を冊子に挟んで証拠のようにする人がいた。死者の数を諳んじて、議論の切り札にする人がいた。
その賑わいも、炭鉱の再開は止められなかった。父の命令は相変わらず短い。操業再開。産出。評判。帳簿。それらはあなたの結婚の話まで、重要でない位置へ押しやった。
あなたはふたたび唸りはじめた選炭場の外に立ち、ベルトの唸りがまた空気を埋めるのを聞いた。石炭の粉が人のまつげへ、子どもの襟へ、慈善学校の窓台へ戻ってきた。
その瞬間、急に分かった気がした。救助のとき、あなたたちは暗闇に裂け目をひとつ開けた。けれど暗闇はそれで減りはしなかった。別の坑口へ、別の家族へ、もっと大きな数字へ移っただけだ。
検量人は事務所で指の節を机に当てていた。ゆっくり、ひとつずつ。点呼をするように。「これはうちの坑ひとつの問題じゃない。あいつらの規則全体の問題だ」
父の「損失を抑える」という言葉を思う。閂が落ちたときの「がん」という音を思う。坑の下で打音で綴られた「小さなカナリア」も思う。その一瞬、人を救ったという事実は変わらない。そして、それがあなたにもっとはっきり分からせる。人は救えても、時代は救えない。
半年後、春は遅く来た。追悼式の日、礼拝堂の外の草地に新しい緑が芽を出し、土の匂いが湿って、鐘が鈍く長く鳴って、黒い喪の布と襟巻きの上に落ちた。
人ごみのなかにケイトを見た。彼女はもう治っていた。顔に傷跡がひとつ残り、右足がまだ少し不自由で、歩くとわずかに傾くこと以外は、彼女のままだった。あなたに笑いかけもしないし、皮肉のひと言もよこさない。人ごみを隔てて目が合い、どちらも何も言わなかった。
そして急に気づいた。災厄が過ぎたあとの変化は、「仲直り」や「赦し」といった耳ざわりのいい言葉ではない。変化は、骨の上に生えた新しい硬い胼胝に似ている。彼女の跛行、顔の傷跡、そして名簿を書き、訴えを書いてきたあなたの手のなかのペン。
ふたりとも、もう前には戻れない。
そして、戻りたくもない。
5.2 インクと、金と、紙の上の名前
1911年の夏の終わり、早朝。薄い霧が炭鉱町の低い石の家に貼りつき、遠くの選炭場の唸りがあなたに告げる。冬のあの坑の暗闇は、春が連れ去ってはくれなかった、と。
書斎と学校のあいだの距離は短い。それでもこの半年は、あなたを敷居ひとつぶん押し越えさせた。
ただ、あなたとケイトはもう以前のふたりではない。
夜、あなたたちは学校の奥の部屋の小さな机に身を寄せる。石油ランプの芯がぱちりと二度鳴り、火が硝子のなかで震える。机の上に切り抜きが広げられ、紙のふちは毛羽立ち、石炭の粉の指紋が層を成している。
ケイトは机の角に座って、切り抜きの束を文鎮で押さえている。夜風にめくられないように。慰めの言葉も言わないし、礼も言わない。ただ、あなたに必要なものをこちらへ押しやる。名前、日付、職長の天引きのやり方、坑口が封鎖されたとき誰が道を塞いだか。
彼女の沈黙は丈夫な梁のようで、この数か月のあなたの揺れを支えている。
戸口に軽い足音がする。マーサが扉を押して入ってくると、靴底にまだ黒い泥がついている。敷居で二度こすり、湿った石炭の粉をひと層落とす。腕には紙片の束を抱えている。
麻縄をほどく。紙には口述を書き取った文がある。曲がっていて、文字の角が欠けていて、たいていは鉛筆で描かれた記号だ。番地、姓、日付、借りているシリングの数。紙のふちには石炭の粉の指紋があり、指紋の上に指紋が重なっている。大勢の人が自分の望みをあなたの机に押しつけたようだ。
マーサはランプのそばに立って、ひとつずつ読み上げる。
「二番小路の六番地。グリフィス夫人。子どもが三人、いちばん上が十一歳、もう選炭場へ」 「六番地半。デイヴィス家。母親が脚を怪我、家賃が二週ぶん滞り、子どもは学校をやめた」 「六番地と七番地。炭車がひっくり返った日に死んだあの人……名簿の最初じゃなかったのに、いちばん少ない補償しか出なかった」
あなたはその一つひとつを、もっときれいな帳面へ書き写す。
「みんな、これは運命だって言う」。マーサがひと呼吸置く。声が嗄れている。「坑はもともとこういうものだって」
あなたは顔を上げない。最後の名前を書き終えてから、ペンを置く。
「運命には証明が要ります」とあなたは言う。
マーサが戸惑う。「どうやって証明するの」
書棚から、付箋を挟んだ書類を抜き出す。ロンドンから持ち帰った古い習慣だ。条文を細い紙片で印しておく。鉱山の法規と調査報告の、冷たく硬い言葉のところを開く。通気、ガス、計量、天引き、責任。
「向こうが書いた言葉こそ、向こうに通じる言葉です」
一頁をマーサの前へ押しやる。
「この言葉を覚えて。そして訊けるようにならなければ。何を根拠にそうするのか、と」
マーサは紙を見つめる。以前は学校で名前を書くとき手が震えていた。いまは震えない。指を伸ばし、石炭の粉の指紋ごしに、その行をゆっくりなぞる。
「わたしにも覚えられる?」と訊く。
「もう覚えています」とあなたは言う。「あなたは番地を憶えているし、日付を憶えているし、いくら足りなかったかも憶えている。足りないのは、その印を新聞が印刷できる文にすることだけ」
引き出しを開ける。封筒の束と、革の財布がある。財布には小切手が何枚か入っていて、それを机に置いたとき、マーサの目が揺れた。
「何をするの」と訊く。声に警戒がある。
彼女が何を恐れているかは分かる。炭鉱町の人は「施し」を恐れる。人を押し下げる種類の善意を恐れる。そして、それこそが彼女たちに欠けているものだ。
「金は紙面を買えます」とあなたは言う。「印刷代を払える。植字工にわたしたちの文を組ませられる。一枚の紙をこの町からカーディフへ、ロンドンへまで歩かせられる」
そこでケイトが口を開く。「同情を買ってるって言われるぞ」
あなたは顔を上げて彼女を見る。ランプの火がそのまつげの下で一度跳ね、瞳のなかに小さな光の輪ができる。弁解はしない。ただ帳面を、いま書き終えた数頁へ開いて、番地も、滞った家賃も、学校をやめた子どもも、補償の額も、はっきり見せる。
「わたしたちが買うのは同情じゃない」とあなたは言う。「買うのは、あの人たちが聞こえないふりをできなくなる機会です」
白い原稿用紙を取る。ランプの下で紙は黄ばんで見える。最初の段落を書きはじめる。事実を書き、時刻を書き、「閂が落ちた音」を書き、電信が箱に収められたことを書き、警備が遺族を遮ったことを書き、坑口の外で誰が泣き叫んでいたかを書く。その日の空気を書き込む。石炭の煙、泥の湿った音、鋼索のがらがらという音。
マーサがわきに立って見ている。あるところまで書いて、あなたは止め、ペンを彼女に渡す。
「この一行を書いて」。空けてある行を指す。「自分の名前を書いて、それから書いて。わたしは証言する、と」
マーサはペンを受け取り、しばらくためらって、ペン先を下ろす。掻く音がとても軽い。自分の名前を最後まで書き、そして「証言する」と書いた。
あなたはその行を見る。胸のなかの火は消えるどころか、紙の上のひと文字ずつに封じ込められた。紙は薄い。それでも閂を抜け、電信の線を抜け、事務所を抜け、白い手袋をつけた人たちを抜けて、最後に何かに火をつけられる。
続けて紙をケイトに渡す。その目が火のなかで光っている。
「何を書く」と訊く。
「あなたが見たものを」とあなたは言う。「選炭場の天引きを書いて。職長の帳簿を書いて。『陽の下』という言葉が賃金を下げるのに使えることを書いて。坑へ下りた日に聞いた打音を書いて。なぜ下りたのかを書いて」
ケイトは深く息を吸い、ペンを取る。ごつごつした指のあいだでは、軸がいっそう細く見える。とてもゆっくり書く。それでも止まらない。字はあなたのように美しくない。それなのに力がある。裂け目に打ち込まれた楔のようだ。
石油ランプの火がだんだん低くなり、ホヤの内側の水気が細かな粒になる。
外の唸りはまだ続いている。それなのにあなたははじめて感じる。この唸りは、もうあなたに黙れと命じているだけではない。あなたたちに、ここを出ていけとも告げている。
数日後の早朝、書き上げた原稿を封筒に封じる。封蠟はまだ温かく、触れるとわずかにやわらかい。
あなたたちは学校の戸口に立っている。マーサは帳面を抱え、ケイトは上着をいちばん上のボタンまで留めて、右足で軽く地面を叩いている。
「まずカーディフへ」とあなたは言う。「行進はもう始まっている」
マーサがひと息吸って頷く。ケイトは頷かない。視線をもっと遠くへ投げている。まだ辿りついていない都市を見るように。
このとき、彼女はあなたの腕を取り、低い声で言った。「振り返るな」
あなたは振り返らない。振り返らないだろう。
襟巻きを締め直し、封筒を鞄に入れる。この炭鉱町を出ることは、ここを捨てることではない。ここの番地と、名前と、血と、石炭の粉を外へ持ち出すだけだ。もっと大きな都市へ、もっと多くの人が聞かなければならない場所へ。
5.3 市庁舎の階段で——彼女の叫びと、あなたの法律
1912年の春、カーディフ市庁舎。広場の前の風は冷たい刃のようで、旗竿の綱のあいだから抜け出して襟へ流れ込み、肌を切るように痛い。炭鉱夫の帽子のつばが一面の暗い色に連なり、肩が肩を押し、濡れた羅紗の色の濃淡がばらばらだ。
遠くで警官が長い列を作って動かずに立ち、ベルトの留め金が冷たい光にきらきらする。地方の役人はもっと後ろに立って、「秩序」という二文字を地面に打ちつけるようにしている。
あなたは階段のわきに立って、手のひらに数枚の紙を握っている。昨夜書き出した項目だ。最低賃金、精算の方法、天引きには根拠が要ること、計量は照合できること。マーサは半歩後ろにいて、番地と名前の小さな帳面を握っている。頁は黄ばんで、めくられすぎて反っている。
人ごみの叫びのなかを、あの姿が階段を上がっていく。右足がわずかに傾き、すぐ立て直される。風が外套の裾をめくり、帽子をめくって金髪を見せる。顎の線は硬く張っている。視線が人ごみを、そして警官をなでる。
あなたが渡したあの紙は、もう握りしめられてくしゃくしゃだ。彼女は緊張している。両手が震えている。それでも立っている。
「最低賃金!」
口を開く。声は風にさらわれ、そして人ごみの胸のなかで共鳴して炸裂する。
「わたしたちは最低賃金がほしい!」
まず低い唸り、そしてもっと大きな反響。拳が上がり、頭が押し寄せ、掛け声が石の壁のあいだで跳ね返る。
その声がケイトに勇気を与える。彼女はあなたの書いた文を、ひとつずつ叫んでいく。
「計量はどう計算する——はっきり書け!」 「何を根拠に賃金を引く——法律を出せ!」 「帳簿に誰が署名する——規則を見せろ!」 「職長の罵り言葉——取り消せ!」
ひと言落ちるごとに、人ごみが応える。その声を聞いて、あなたは急にピアノの拍を思い出す。あなたは音を正しい拍に落とすよう教えられた。そしていま、ケイトは拍をスローガンに替え、スローガンを全員の呼吸に押し込んでいる。
最後に手を上げて市庁舎の窓を指す。「施しをもらいに来たんじゃない。規則を取りに来たんだ!」
「規則!」と人ごみが応える。旗、歓声、プラカード、声の波が、こちらへ向かって溺れるように押し寄せてくる。
ケイトは人ごみに囲まれる。無数の粗い手が肩と背を叩き、帽子を彼女の手に押し込む人がいる。勇気を手渡すように。彼女は大人になった。もう初めて会ったときの十六、七の少女ではないし、意地を張ってあなたと喧嘩していた子どもでもない。もっと落ち着いて、もっと冷静で、もっと強くなった。
人ごみに押されて進みながら、その視線はずっと何かを探している。帽子のつばの層をいくつも越えて、とうとうあなたにぶつかる。
そしてこの瞬間、彼女は子どものように笑って、あなたに向かって叫ぶ。声は人ごみに呑まれ、それでもしぶとくまた抜け出してくる。
「小さなカナリア!」
5.4 大巡礼——ワトリング街道の絹の旗
「小さなカナリア——!」
その呼び声が人波から弾け出てくる。階段の下のざわめきを含み、風が音節に裂いた毛羽立ちを含んで。あなたはほとんど本能的に振り返る。
視線が、花影だらけの道に落ちる。陽の光が目に痛い。顔を上げると、咲きあふれる花のあいだから見知った顔が現れる。マーサだ。背が少し伸び、肩も丈夫になって、笑うとまだ学校にいたころの子どものようで、ただ、ずっと落ち着いている。
彼女は帽子のつばを持ち上げ、わざとケイトのように言葉を噛む。「さっきの振り返り方、急ぎすぎ。ばれてるよ」
「ふざけないで」と言いたい。「あの人の真似をしないで」と言いたい。けれど唇が動いて、何も出てこない。
マーサが少し近づき、声を落とす。秘密をひとつ耳に押し込むように。「あの人に会いたいんでしょ」
あなたはその顔を見る。鼻筋、顎の線に、どこかケイトに似たところがある。その似方はやわらかくない。谷の風と石炭の粉の粗さを、早く大人にならざるをえなかった硬さを帯びている。そして急に分かる。時間はあの落盤も、あのストライキも、坑の下のあの歌声も、「過去」に磨いてはいない。
時間はそれをあなたたちの骨のなかへ揉み込んだだけだ。歩き方まで変わってしまうほどに。
一年は、多くのものを「かもしれない」から「もうそうなった」に変えるのに十分だ。
1912年のあの風を憶えている。市庁舎の階段の下で吹き、帽子のつばを波立たせ、喉を痛くさせた風だ。あの日から、炭鉱町の夜は選炭場の唸りだけではなくなった。帳簿と名簿が隅に積み上がり、紙が毛羽立つほどめくられた。「最低賃金」が何度も何度もきちんと書き写され、天引きの項目は短い文に写されて、戸板に貼られた。
マーサの成長は速かった。石炭の火が立ち上がるときのように速かった。気づけば、もう紙片を抱えて入ってくるだけではなくなり、灯りのそばで読み上げるだけでもなくなった。路地の入り口で人を呼び止め、どの小路で賃金が足りなかったか、どの家の子が選炭場へ行かされたかを聞き取るようになった。番地はまず頭に入れ、学校へ戻ってからペンを取る。ペン先が紙を掻く音がする。
この一年で、炭鉱夫たちも協力することを覚えた。坑口の不満は会議と代表に集められ、交渉できる名簿と規約に変わった。彼らはいつも議論している。誰が連絡を取るのか、誰が新聞社へ走るのか、誰が各坑の天引きの決まりを写し集めるのか。言い合いの果てには、いつも同じ言葉に落ちる——「わたしたち」。もう別々に震えるのではなく、たがいの手を握り、肩を並べて立ち、ひとつの声で叫ぶ。
そしてこの年、「労働党の人」が手紙や会話によく出てくるようになった。ロンドンの話をする人がいる。あちらには聞く気のある人がいて、坑の話をしに行く気のある人もいる、と。広場で話す、議会で話す。もっとも、たいていの場合、お偉方の「追って検討する」のひと言で、あなたたちの冬は引き延ばされ、寒さがそのまま続いてしまうのだが。
そしてその冷たさのなかへ、ケイトはロンドンへ行った。あの演説が彼女に招きをもたらし、彼女は自分をもっと大きな機械のなかへ押し込みにいった。その機械の歯車がどう噛み合い、どう人を挟むのかを学びに。
あなたはカーディフに残った。あなたは現場で働く。十分に壮烈には見えないのに、誰かがやらなければならないことを。滞った家賃と失学を、問い詰められる項目に書き換える。職長の暴力を、訴えられる文に書き換える。あなたはまだ石炭の煙のなかで暮らし、まだ選炭場の唸りのわきを歩いている。ただ、もう「秩序」を、もとから在るものとして受け取れない。それは人が書いたもので、人が鍵をかけたもので、人が分解できるものだと知っている。
わきでマーサが小さな蜜蜂のように忙しくしている。そして急に分かる。彼女の働きは、もう誰か別の人のために甘いのではない。
この一年、あなたも同じように忙しかった。夜が更けて静かになったときだけ、ロンドンからの手紙を開く時間がある。紙は薄く、角はいつも少しやわらかい。ロンドンの降りやまない雨に浸されたかのように。インクが滲んでいることもある。それでも書き出しの一行はいつもはっきりしている——
親愛なる小さなカナリアへ
ケイトの筆跡はあいかわらず美しくない。画に力の跡があって、裂け目に打ち込まれた楔のようだ。
彼女はロンドンの街路を書く。雨がやまないこと、人波が潮のようであること、馬車と自動車と市電が入り混じっていること。議員の扉は鉄のようで、組合の事務所はいつも言い争っている。労働党の会議を書く。口をきける人たちが、どうやって人の命を数字に換え、その数字にどう噛み返されるのかを書く。自分のことも書く。右足は長く歩くと痛むと書き、あなたに心配させたくないので、その痛みをとても軽く書く。便箋にまで面倒がられるのを恐れるように。
だから、1913年の夏が本当に来て、陽がワトリング街道の浮き埃を照らしたとき、マーサのあの「小さなカナリア——!」が、またあなたの放心を揺り起こしたのだ。
ここは「巡礼」の隊列だ。マーサはその言葉を言うとき少し笑った。ふた文字が大げさすぎると思ったのだろう。けれど実際に道に出てみると、たしかに巡礼に似ている。奇跡を求めに行くのではない。自分を一歩ずつ証言に歩き変えていくのだ。
全国女性参政権協会連合が非暴力の長距離行進を組織した。各地の隊列は小川のように、別々の方向からロンドンへ流れ込む。目指すのはハイドパークの大会だ。あなたたちの隊は古い街道を歩いている。路面は埃と石畳のあいだで入れ替わり、ときおり古い里程標の残影が見える。この道はワトリング街道というのだと誰かが言う。ずっと昔から町と町を繋いできて、いまはあなたたちをも繋いでいる。いまの人はそれを地図の上の線と思うかもしれない。けれどあなたの時代では、それは足の裏の硬い地面であり、靴のふちの埃であり、道すがらの水ひと口の貴さだ。
隊列には旗が多い。絹が陽に光って、色を風に織り込んだようだ。紫、白、緑。リボンが竿に結ばれ、竿は手のひらに温められている。水を配る人がいる。粗い陶の杯のふちが歯に当たり、冷たさが喉を落ちていく。冷笑する人もいる。道端に立って「女は家へ帰れ」とひと言吐き捨てる。痰を吐くように。もっと多くの人は黙ってあなたたちを見ている。
マーサは仕事着のズボンを穿いている。裾に埃がついていて、歩幅は大きく、迷いがない。その身にはパンの匂いがある——生きのびるために在る、実体のある、重い力だ。
そしてあなたは、どちらかといえばバラだ。弱いという意味ではない。折れないという意味だ。あなたは教室と教壇の反響を連れていて、言葉を武器にし、屈しないことを姿勢にしている。
ふたりが並ぶとき、それはパンとバラが並べて置かれているのと同じだ。あなたたちは生きのびるだけではない。生きるつもりでいる。
あなたたちは自分たちで縫った旗をひとつ掲げている。針目は揃っていなくて、ふちの何か所かで縫い目が逸れている。急いだなかに残った息づかいのように。旗にはこう書いてある——Bread and Roses。あなたはその文字を見て、坑の下のあの歌声が耳によみがえる。まだ幼かったマーサが歌ったあの一節だ。
——生まれてから死ぬまで、汗を絞られるだけの日々であってはならない——
——心もからだと同じように飢える。パンをください。バラもください。
いま、歌声はふたたびひとつになって、壮大に、荘厳に、ひとすじの川のようにあなたを前へ押している。
歩きながら、ふと放心する。
かつての炭鉱町、慈善学校のチョークの粉、舞踏会の広間で砕けた銀の光、父の命令、閂が落ちた「がん」という音、坑の下で打音に綴られた「小さなカナリア」……それらが繋ぎ合わされた映像の連なりのように、目の前を速く過ぎていく。あれは「前の世紀」のことだと思っていた。それなのにあなたの指はまだ石炭の粉のざらつきを憶えていて、耳の骨はまだ鋼索の震えを憶えている。新しいものが芽を出し、上へ伸びようとしている。それは突然現れたのではない。あなたが、あなたたちが、少しずつこの世界へ連れてきたものだ。
マーサがわきでひと息つき、額の汗を手で拭って、また笑みを出した。「ほら、こんなに歩いても倒れなかったじゃない」
答えようとして、唇が動きかけたとき、背後から、刺さるほど聞き慣れた呼び声がした——
「小さなカナリア!」
その声は人ごみの後ろから抜け出し、風に押されて、枯れ草に落ちた火の粉のように届く。背すじが張りつめる。またあわてて振り返りそうになる。その呼び方はケイトに似すぎている。ロンドンから手紙を書くときのあの書き出しに、坑の下で管を叩いたあの拍に。
「秘密にしてって言われたの」
マーサがあなたの手を握りしめ、うろたえているあなたの耳もとで静かに言う。
「驚かせたいんだって」
あなたは足を止める。旗が手のなかで軽く震え、絹が細かい音を立てる。自分の呼吸が聞こえる。はっきりと、速く、胸のなかでカナリアが跳ねているように。
そしてもう一度、ゆっくりと、あなたは振り返る。