星を測った女——ヘンリエッタ・リービットは、いかにして宇宙を測るものさしを作ったか
星までの距離を、人間はどうやって知ったのか。1912年、ハーバード天文台でガラス乾板に向かっていたヘンリエッタ・スワン・リービットはセファイド変光星の周期光度関係を見つけ、明滅のリズムを宇宙のものさしに変えた——そしてノーベル賞の推薦は、彼女に届かなかった。
夜空を見上げるとき、わたしたちはみな同じ難問の前に立っています。暗く見えるあの星は、もともと小さな常夜灯にすぎないのか。それとも本当はまぶしいほどのサーチライトで、ただ、あまりにも遠いだけなのか。
その星がもともとどれだけ明るいのかが分からなければ、地球からどれだけ離れているかは永久に計算できません。この行きづまりを解いたのが、ヘンリエッタ・スワン・リービット(Henrietta Swan Leavitt)という天文学者でした。ハーバード天文台の一台の机で、ガラス乾板に写った星の明滅のリズムだけを手がかりに、彼女は深宇宙まで届く最初のものさしを人類に与えたのです。

一、夜空のジレンマ——あの星までは、どれだけ遠いのか
空の星には明るいものと暗いものがあります。けれど目に見える「明るさ」には、まったく別の二つのことが混ざっています。その星がどれだけの光を出しているのか、そして、どれだけ遠くにあるのか。
長いあいだ、人間にとって宇宙を見ることは、平らな幕を見るようなことでした。光は見えるのに、その奥にある距離には手が届きません。この幕を奥行きのある空間に変えるには、まず「ひと目見ればもとの明るさが分かる」種類の星を見つける必要がありました。

二、ガラス乾板の上で、星の鼓動を数える
転機は、ごくふつうの木の机の前で訪れました。
リービットの毎日の仕事は、白黒のガラス乾板を大量に、虫眼鏡で見ていくことでした。乾板には南天のひとつの星雲——小マゼラン雲——の星が、びっしりと記録されています。彼女はハーバード天文台が乾板の処理のために雇った女性たちのひとりでした。当時、その人たちは「計算手」(computers)と呼ばれ、天文台でいちばん目を使い、いちばん人目につかない仕事をしていました。
何千という星のなかで、リービットはとりわけ変わった一群に気づきます。セファイド変光星です。
ほかの星はたいてい明るさが変わりません。けれどこの星たちは呼吸をしているようでした。規則正しく明るくなり、暗くなり、また明るくなる。リービットは机の前で、その一つひとつについて、明暗が変わる完全なリズムを根気よく書きとめていきました。

三、いちばん澄んだ判断
そして彼女は、とても賢い判断をひとつ下します。この変光星たちは同じ遠い星雲のなかに集まっているのだから、地球からの距離はほぼ同じと見なしてよい、と。
この一歩で、距離という邪魔者が消えました。距離が同じなら、乾板の上でより明るく見える星は、現実にもより強く光っている星だということになります。
データを並べてみたとき、きわめて美しい規則が浮かび上がりました。
- 鼓動のゆっくりな星(明暗に何日もかかる星)は、実際には途方もなく大きな灯りである。
- 鼓動の速い星(数日で一度明滅する星)は、出している光がずっと弱い。
星の明滅の速さが、その星の本当のエネルギーを直接に明かしてしまう。これが、のちに教科書に載る周期光度関係(period–luminosity relation)です。1912年のハーバード天文台回報でのリービット自身の書きぶりは、驚くほど控えめでした。
極大と極小に対応する二列の点のそれぞれに、たやすく一本の直線を引くことができる。すなわち、変光星の明るさとその周期のあいだには単純な関係があるということである。
——ヘンリエッタ・スワン・リービット、1912年

四、人類が手にした「宇宙のものさし」
この発見のあと、距離を測る手順はパズルを合わせるように単純になりました。
- リズムを見る——望遠鏡でセファイド変光星を追い、一度明滅するのに何日かかるかを数える。
- 本当の明るさを引く——リービットの規則から、その星が実際にはどれだけ明るいのかをそのまま読み取る。
- 距離を出す——実際の明るさと、地球から見たときの暗さを比べ、光の伝わり方についてのふつうの物理で距離を計算する。
セファイド変光星は、こうして宇宙の奥に吊るされた標準の灯台になりました。明滅の速さが見えさえすれば、その星の本当の光が分かるのです。
のちにハッブルがこのものさしでアンドロメダ星雲を測り、それが銀河系のはるか外にあることを証明しました。宇宙の果ては一夜にして押し広げられたのです。そのものさしは、ひとりの静かな人の手から生まれました。
五、届かなかった推薦
リービット自身の人生は険しいものでした。学業を終えてまもなく、髄膜炎で聴力を失います。1921年、癌で亡くなりました。
その死を知らなかった数学者イェスタ・ミッタク=レフラーは、彼女をノーベル物理学賞に推薦することを考え、ハーロー・シャプレーに手紙を書いて、リービットの仕事についてもっと詳しく教えてほしいと頼みました。
シャプレーは、リービットはすでに亡くなっていると返事をし、そのうえで、本当の功績は自分にあると主張しました。彼女の発見を正しく「解釈」したのは自分だから、というのです。
結局、推薦は行われませんでした。ノーベル賞は、亡くなった人には贈られません。
画像の出典
この記事の画像は公開資料から整理したものです。リービットの白黒の肖像写真はパブリックドメインの歴史写真、肖像イラストは後年に描かれた記念の絵です。マゼラン雲の夜空の写真と、セファイド変光星 RS Puppis の画像は、公開されている天体写真とハッブル宇宙望遠鏡の公開画像によります。1912年の引用は、ハーバード天文台回報第173号『小マゼラン雲の変光星25個の周期』からのものです。
物語の背景
この記事は、オリジナル小説『ゴリアテ号が沈む前に』のための調査ノートです。ケイビルの民は流浪の星図製作者で、未知を確かなものに描き変えることで生きてきましたが、自分たちの故郷だけは一度も描いたことがありません。リービットのものさしは、「測る」という行為が現実の歴史のなかで取った姿そのものです——ひとりの人間が静かにリズムを数えおえると、宇宙が大きくなる。この記事の中国語原文は量星星的女人にあります。